人気ブログランキング |

空中分解か蛹化か

 自分がACであると自覚して、その病的なところが発現している先が、各種の依存症であるとわかったとき、私は辛い窒息と浮遊状態に陥った。自分が目指していたゴールが突如として消え、また意味を失い、感情的には悲哀と虚無感とあてどないさすらいの感覚に襲われた。

 それは、耐えがたい孤独と悲愁の感覚であって、とてつもない喪失感をともない、うつ病への道を加速させた。
 アルコールや薬物や人間関係に依存していた人が、それを絶って新しい自分と生き方を見出そうとする苦しみは、体験したものでなければわからない。

 あたかもひとつの殻から、別の殻に移りかけているヤドカリがもっとも弱くて危険な立場に置かれるのと同じく、生き方を変えようとするACはあぶなっかしく、実際にあぶないのである。神に保護と導きを求めることをしなければ、早晩に元の有害なありかたに引き戻されてしまう。

 たとえば、私が目標としていたことや、母や家族に嘱望されていたことが、実現不可能であるという事実に気づくことは、自分の為すべきこと信じるべきことを失うことだった。信じるべきことや、目的を失うことほどつらいことはない。生きる支え、生きがいがなくなることだからだ。

「それ」ゆえに生き、「それ」だけを励みに生きてきたというような「それ」をなくして、生きていくのは、ものすごい不安と恐れとよるべなさ、アイデンティティーの喪失感をともなう。あたかも、乗っていた船から大洋のただなかに丸裸でなげだされたか、あるいは真っ暗な洞窟の探検中に、頼りにしていた地図と明かりをまったくなくして、なお先へ進まねばならない絶望的な状況にたとえられる。

 だが、神が私に与えたもうた「何か」があると、闇の手探りの中で信じられるようになってきたとき、私の回復が少しずつ前に進んできた。

 目的意識を失いすっかり惑っていた当時、心ない人間にだまされたり利用されたりもしたが、それでも大いなる意志を「信じたい」という気持だけは、わずかな一縷の糸となって、私を生かしてきた。「神を信じている」とはいえない。何をもって、どのような生き方をもって、「神を信じている」と断言しうるのか、私には自分についてまったく見えないからだ。

 私にいえるのは「信じたいという願いがあるのは確か」ということだけだ。「信じている」と公言したとたんに、自分が嘘つきになるような気がしてならないからだ。他の人が、私について「あなたは神を信じている人だ」と批評してくださるのはかまわない。だが、自分で「神を信じている」と断言できる自信は私にはない。そう言い切るには、私はまだまだ足りないことが多すぎる。

 依存を絶って、生き方を変えることは、蝶の幼虫が、蛹の中で主要な器官を除いてほかの部分が、いったんどろどろに溶けて再構成されるのと似ているかもしれない。ひきこもったり、うつになったりするのも、もしかしたら蝶になる前の「蛹」だからではないのかと勝手に連想してみたりする。

 私たちACは、蝶になる前の毛虫なのだ。「醜いアゲハの子」なのだ。そう信じよう。
 それが、神のご意志であり、法則であると、信じよう。美しい蝶に羽化するときが必ず来る。
 それを信じよう。
by ecdysis | 2010-06-20 02:59 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(5)

ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com(exciteメールは2018/9/18をもって使用不能となりました)