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 過労のせいともちがう、気分の落ち込みや変動があり、窓のすきまですすり泣く風の音に、いいようのない子供時代の孤独なすさんだ家の空気を思い出す。

 安心や安全とは無縁な子供の寒々した心が、曇った空にため息をつく。
 先に逝った親しい人たちの死にざまに、心が暗くなる。
 なんとみじめな栄光のない生よ。生きるのに苦しみ、残す遺産はその苦しみの姿の記憶だけとは。

 幸福も希望も燃え尽きるロウソクのようなもので、私の老後にはその火も消えて闇が訪れて、死ぬことだけが希望となるのだろうか。
 
 それでも、鈍い灰色の低気圧の空に、「あの雲の上には太陽が輝いている」と、今日は思うことができた。
 夜の闇にも、「地球の反対側では昼の太陽が輝いている」と思うことができた。

 この世の闇と認識しているのは、私の眼だけで、実はその向こうには光輝く世界が広がっていると信じよう。
 失敗してへりくだることの方が、成功して傲慢になるより、はるかによい。
 思い通りにならなくて自分を小さく見る方が、なんでもうまくいって尊大になるより、はるかによい。

 人と人との間にいる自分が、孤独でさびしくて虚しいときは、人を超える大いなる意志が、「人間を求めるのをやめて、私を求めよ」と呼びかけているときかもしれない。人に向かって「だれか振り向いてほしい」と願ってうまくいかないときは、目に見えない意志が「私の方を見よ」とおっしゃっているのかもしれない。

 もし、私の魂が、謙虚さを身につけたいと願って、この世の生を選んできたならば、やることなすことうまくいかず、いやでも自分の小ささを知り、致命的なほど傲慢になれる機会は決して与えられないだろうし、実際、そういう運びでこれまで来たように思う。

 この人生は、私の自我の思う通りではなく、私の魂の思う通りに進んでいる。

 その意味では、自分の願った通りに生きているのだ。

 それぞれの人間の魂は、神さまの分霊のようなものだと思うから、魂の願うところは、きっと神さまの御心といっしょなのだろう。わが魂の願うところ、すなわち神の願うところ。どうも、そんなようなことのようだ。
by ecdysis | 2013-04-18 00:06 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

 私はなぜアルコール依存症とACにならざるをえない病的な家系に生まれたか。

 その理由が、自分の持っている性格上のいやな部分に関係することが、うっすらとだが見えてきたような気がする。

 ACも依存症者も、ともに病めるものであり、弱きものである。

 私の心の暗部には、「弱者への裁きと軽蔑」という無慈悲な気持ちが存在する。
 その暗部があるゆえに、私は自ら弱者となるように生まれ、そのような人たちの中で生きるように運命づけられたのではないか。

「裁きと軽蔑」を「寛容と尊重」に変えることができたなら、私のこの人生は、たぶん個人的には成功なのだろう。
by ecdysis | 2013-04-02 22:35 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(6)

ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com(exciteメールは2018/9/18をもって使用不能となりました)