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 自分にとって、「これだけは大事」「これは絶対に不可欠」と思っている人生要素が、実は自分にとって有益どころか有害なもの(行為・価値観・欲求・人間関係)だった。それを、この年になってはっきり認識することは、アディクションにはよくあることとはいえ、驚きだ。

 自分の嗜癖に関することには、強烈な否認が働いていて、「すごく大事だと思ってきたことが、実は有害である」と長い年月、気づけない。そこに物質的・肉体的な快楽がともなえばなおさらのことだ。
 その快楽も落ちついた地味な快感や楽しさではなく、刺激的で陶酔感や高揚感をともなうのが通例だから、なおさらのこと「有害」とは認められない。

 そういう快感ばかりを快感だと思っているから、落ち着いたシンプルな快感や素朴な楽しさを、ACは感じられないのだ。

 人間には、感じられる喜びや快楽に、ちゃんと限界がもうけてある。残念ながら、ACは苦痛を感じる感度よりも、喜びを感じる感度の方がはるかに低い。だから、過去に受けた精神的苦痛への防衛に気持ちをもっていかれている間は、人間らしい喜びや楽しみは感じたくても感じられない。

 ACはみな、過去の苦痛にとらわれているので、現在の喜びを感じる余裕がない。
 それは、感じる能力がないのではなく、感じる暇がないのだ。
 過去の苦痛やとらわれから離れていけば、みんな現在の楽しみや喜びを感じられるようになるし、シンプルで穏やかな快感を感じられるようになる。

 回復とは、人間にゆるされた範囲で、人間にゆるされた感覚を使って、ありのままにものごとを味わえるようになることをいうのだろう。
by ecdysis | 2013-09-30 01:41 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

 アディクト行為をやめると、一時的に原因不明の不安や孤独感やうすら寒い感覚や怒りやイライラが生じる。
 
 しかし、それらを「なんとかしよう」とはしないことが大事。
 アディクトを「やめる」ということに意識を集中しすぎると、かえって再発を起こしやすい。
 できるだけ、さまざまなものごとに「とらわれない」姿勢でいることが必要。

「こだわること」は、アディクションの症状であり原因でもあるから、「こんなことでこだわっていては、アディクションはとまらないよなあ」ぐらいに思っていればよい。

 ましてや、「やめます」と誓ったりしてはいけないし、「やめてみせる」と意気込んでもいけない。
 悲壮感や過大な決意や誓約を必要とする段階では、そのアディクションは「やめられるタイミング」を得ることはできない。

 気楽に、かまえず、こだわりすぎない精神態度を続けること。それが、アディクションを停止する上で非常に大事だ。
by ecdysis | 2013-09-23 02:28 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

私には、アルコールと女性依存という二つの嗜癖があって、前者は10年の断酒が続いており、後者には試行錯誤の末に、アルコール依存について適用した方法をもって対処しはじめている。

 この二つの症状に共通することは、すでに多くの専門家や体験者が語っているようなことで、私が特につけくわえることはないと思えるが、自分の体験による実感をざっと棚卸ししてみたい。

1.そのアディクションは、幼少年期には必要なものだった。孤独や恐怖や不安や絶望に自我が崩壊しないためには、その方法に頼るしかなかった。
2.その方法を日常的に精神的な問題が起こったときに用いるようになった。
3.その方法を用いるうちに、自分だけでなく、家族や友人など「相手」を巻き込むようになった。
4.その方法を用いるたびに、人間関係に問題が起こるようになった。
5.その方法によって、自他が傷つくことを繰り返すが、ほかに方法を知らないのでやめられない。
6.その方法が不健康であり不適当であり、かつコントロールできないことを自覚できない。。
7.その方法を用い続ける限り、より病的な度合いが深まり、異常性が進行する。
8.その方法が原因となって多くの問題を起こすことを繰り返したあげく、やっとその方法が問題なのだと気づく。
9.その方法を用いないで生きる方法を探しはじめる
10.試行錯誤の体験のあげく、自分にふさわしい解決方法を見出す

 8~10の段階が進んでくるほど、その方法を用いる自分の姿に「みっともない」「なさけない」「かっこわるい」などの「恥」の感覚を持つようになる。
 しかし、そのことで自己嫌悪に陥ったり、やけになったりするのは禁物である。
「みっともない」自分は、いつまでも続くものではない。「なさけない」自分も、そうでない自分になるために必要な出発点としてゆるすことが必要だ。
 その方法から解放されて、すがすがしい空気を胸いっぱいに吸える日が必ずくるから。

 なお10.の「試行錯誤」は、アディクション行為の意志的な停止と再発・スリップの繰り返しをともなうのが通例なので、何十回も年十年も失敗したとしてもあきらめたり投げ出すには及ばない。
 大事なのは「やめたい」という意志の継続と、「いつか、すっかりやめられるタイミングがくる」ことを信じ続けること。
 予測しないような形で、「すっかりやめられるタイミング」は求めていれば、かならず与えられる。
 決して自己嫌悪や自暴自棄にとらわれないようにすることがいちばんに大事である。

 基本的に、アディクト行為の特徴は、「こうすれば、こうなれば、心地よくなれる」というひとつの方法を信じて行動する。しかし、幸福感と安心感を求めて行うその行動の結果は、つねに裏切られる。得られるのは、一時的な心地よさや快感と、その何十倍何百倍もの苦しみと痛みと嘆きである。天国を求めて行うことが、いつも地獄の結果しかもたらさない。癒しを求めてはじめる関係が、いつも苦悩と試練を残す結果にしかならない。
 
 そういう年月を繰り返して、やっと気づく。自分が使ってきた慣れた方法には、自分が真に求めてきた結果を得る力はなかったのだと。時間を空費してきたのだと。
by ecdysis | 2013-09-23 01:21 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com(exciteメールは2018/9/18をもって使用不能となりました)