人気ブログランキング |

 ギャンブル依存とアルコール依存に理解のある友人が今日、興味深いことをいっていた。

 彼がいうには「ギャンブラーは大当たりしたときのハッピーさよりも、大負けして今月の生活費どうしようというピンチの感情を覚えることで精神が安定するんだ」

 要するに、勝って利益が出て安心するのではなく、負けて生活がピンチになるというスリルを味わうことで心が落ち着くというのだ。
 これは、これまで推測もしなかった情報で、要するにギャンブル依存は「負けてピンチになって脳内快楽物質が分泌される」ことへの依存だという。

 言い方を変えれば、その話をきいていた別の知人が指摘したように「自傷行為の一種」であり、スリルと達成感を求めて万引きを繰り返すクレプトマニアと共通する。

 いずれにせよ、「平安」から隔たったアディクションの世界だ。酔いや自傷の苦痛や闘争や共依存の世話焼きだけでなく、個人的なスリルや生活上のピンチにまで嗜癖しているというのは驚くべきことだ。

 そうしなければ生きてこられなかったという悲痛な世界であることはいうまでもない。

「平安」を「平安」として受け入れ、「安らぎ」を「安らぎ」として味わえるようにならないと回復ではないのだろう。

 ケンカや虐待やピンチや自傷のハラハラドキドキと、そのあとの虚脱、小刻みに体を震わせながら味わうつかのまの「静けさ」。

 そんな家庭環境で育ったすべての子供たち、そして私をはじめアディクションを抱えた大人たちが、みな真の平和と安心に包まれて永続しますようにと祈る。



by ecdysis | 2016-05-29 02:14 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

 私の場合はアディクションがアルコールへの依存なので、どの程度、自分の心が「酔っている」か「しらふでいる」かで回復の度合いがわかる。

 先日、そのことに関して我ながら今さらのように実感したことがある。

 それは私の欠点である短気や性急さというものが、依存の原因や結果ではなく「いまだ酔っている状態」が続いている証拠だということに気づかされたのだ。

 酒をやめる前はネット上で喧嘩や言い争いや罵倒や攻撃にあけくれていて、頭が狂っていると批判されたり、訴訟すると宣告されたりした。そのころの攻撃性がシラフになってからずっと少なくなっているが、自覚できる欠点としていまだあることは困りながらもわかってはいた。

 疲れたりショックなことがあるとイライラや怒りっぽさが生じて人やものごとの悪いところばかり見えて責めたり裁いたりしかできなくなる。しまいには一人で癇癪を起こして、うなったり愚痴ったりだまりこんでストレスにあえいでとらわれたりしてきた。

 それらが自分の問題だと認識できてはいたが、「酔い」の問題とは思えないできた。

 ところが自分と同じアディクションの持ち主たちが、相当に断酒期間が長いのにもかかわらず、癇癪を爆発させ怒る姿を見て「これは酔っぱらってるのと同じだ」と感じる瞬間があった。

 つまり「幼稚な怒りは酔っぱらいの感情である」と思い知らされ、自分の怒りも同一の現象とわかって愕然としたのだ。すなわちアルコホーリク(飲酒に問題のある人たち)とは、断酒して飲まない生き方をしていても「シラフ」の意識と「酔っている」意識とが同時に一つの体に住む「二重人格者」なのである。

 外見は「シラフ」に見えても、そこにはアルコホーリクでない人々のもつ「シラフ」とは内面性において決定的な一大相違点がある。

 それがいま書いた「酔っぱらった意識の同時存在」なのだ。

 アルコホーリクにとっての「シラフ」とは「シラフの意識の方が酔った意識より強く現れており、酔いが再発しないようにコントロールできている状態」にすぎない。もちろん、それだけでも回復していることにちがいはない。しかし、アルコホーリクでない人々と同じ意味で「100%のシラフ」になることはできないのだと思い知らされた。


by ecdysis | 2016-05-14 01:10 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(3)

ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com(exciteメールは2018/9/18をもって使用不能となりました)