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自分の「心」に気づく時

 釈迦は、悟りも迷いも、「心」からくると詳しく解説している。
 それらの言葉は、座禅をはじめて仏教書を本格的に読みだして2年になるが、これまで字面で読むだけで、ほとんど実感には遠かった。

 最近まで、「自分の心を知っているつもりになっていただけで、実は未知の領域のまま蓋をして否認してきた」という事実にさえ気づかなかった.
では、私はこれまで、どのように自分の心を認識してきたか。
 もっとも中心にあるのは「あるべき自分の心」と「あってはならない自分の心」の二つの部屋を持っているということ。
 これは、「有ることを知っていて人にも話せて認めることのできる心・感情」と「有るのを知ることさえ否定し人にも話さず認めることのできない心・感情」とも言える。

 自分の心の否認は、言い換えれば「自己の欠点や問題点の否認と認知能力の凍結・麻痺」ということになる。
 あるがままの自分の心と感情は、私のひどい家庭の中では、現わすことも感じることも否定すべき「恐ろしい忌むべきもの」だった。

 けれども、そのように「有ってよい心」と「有ってはならない心」とわけても、有るものは有る。
 それは、たとえば部屋に有る物を「快適な物」と「不快な物」とにわけて、前者は日常的に必要なものとして使い、後者は「ないことにして部屋の隅に放置」という対処をしているのと同じだ。不快な物は、そもそも部屋の外に出すべきなのだが、まず「不快な物が室内に有って積まれている」という事実を認めることからはじめねばならない。「有るものを有ると認めること」がまず、最初に為すべきことなのだから、我ながら驚かざるをえない。
 道元禅師の「眼横鼻直(がんのうびちょく)」の教えの通り、「目が横にふたつ、鼻が縦にまっすぐについていること」さえ、ふだんは当たり前のこととして意識にもせず、気づくこともないように、改めて気づけば、その事実が驚きをもって受け止められるようになる。

 私の心にも同じことがいえて、有るがままに見ることをしてこなかったがために、否認し無いことにしてきた心を、ここにきて急に自覚せざるをえなくなってきた。

 私は、これまで見たくない自分の醜い感情、あってはならない悪い心を、「何かのまちがいで起こったが、もともと自分のものではないので、見なくてよい心」にして、不要な心の箱に入れて蓋をしたつもりだった。
 しかし、それらは、私の蓋をしたつもりが、ただの思いこみであることを証明するだけだった。実際は、蓋をされたわけではなく、常に私の中に起こって、隠したり見ないふりをするだけだった。見ないふりということは、外にも内にも現れ見えていたということだ。まったく見えなければ、見ないふりなどする必要がない。

 しかし、自分に不都合だからといって、心に有るものを無いとすることは、自分の心と人格全体に対する高慢であり冒涜でさえあった。そのことにようやく気づいた。自分の心の無視という、自分自身への高慢な姿勢に、これまで気づかなかったのだ。

 そもそも、酒を飲んで女性とつきあっていたころ、私には自分でも情けないと思う気持が心の奥にあって、それに苦しんでいた。
 それは、女性に依存して養ってもらいたいという、実に恥ずかしい依存欲求がうずくのを感じて、「これはあっちゃならない感情だ、なにかのまちがいだ。おれはこんなダメ男じゃないはずだ」と否定した。現実的にはダメ男だったのだが、そう自分でうめいていた。

 依存症と経済的不安と恐れとさまざまな気持が錯綜して、そういう精神状態になったのだと理解していたが、それはもっと根深いものであることがわかってきた。

 思い返せば、私は18歳のときに「よき父、よき夫になりたい」という願望をもち、それにふさわしい精神を持ちたいと思い続けてきた。それは、いまだ実現されないことであったが、あらかじめの矜持、プライドとなって、そのような女性への経済的依存をともなう依存を否認するのに役立っていた。よき家庭人たりえたいという願望によって、私は自分のおろかさや醜さや罪悪を否認することができた。私は私の心のうち、陰にまわしてしまった暗い幼稚な心を、立派な長男になるという願望によって否認し、あってはならない心として見ないことにした。

 その夢のおかげで、私は自分を支え有力感を持つことができた。「今はこうだけれど、いつかはきっと、ちゃんとした家庭をつくるんだ」という夢の前に、私は自分の心のうちで、人に見せていい心と、否認して隠すべき心を仕分けしてしまった。そして、自分の卑しい暗い心を「善き家庭人になるためには不要な邪魔者」としてすべて蓋をしたつもりだった。

 だが、そのプライドの原動力の夢はいつまでも実現されす、むしろ実現できない可能性が日々に増し、私は自分のいやな醜いみっともない心と、少しずつ向き合わざるをえなくなって、それでも蓋をしようと格闘し続けた。

 私の暗い醜い卑しい心は、それでもそのひとつひとつに正しく対面して、大半を受け入れてきたとはいいがたい
 以前、自分の激しい嫉妬心に気づいて苦しんだのは、その最初の対面といえたが、まだまだ対面すべき「自分の暗い心」がたくさんあると最近気づいてきた。

 釈迦の教えを学ぶまで、私には「見ていい心」と「見てはならない心」と分けていることも気づかず、「見てはならない心」は「あってはならない心」で「なかったことになった心」だった。

 しかし、繰り返すが、あるものはある。そのことを、釈尊が教えてくださった。

「立派な家庭人」になる夢に挫折したとき、私は鬱病を発症しはじめ、それまでの蓋をしていた感情をおさえつけていることができなくなった。すでに激越な憎悪の問題は、19歳のときに一応の解決をみたが、それ以外の嫉妬や怒りや貪りの問題は、「なかったことにした」ため、まったく手つかずであった。

 その結果、中年になってから酒の力を借りて人と論争し、ぶつかりあい、攻撃し罵倒し、怒り狂った。自分をだましたカルト教団へも怒りにまかせて訴訟問題寸前になるまで、徹底的な批判を繰り返した。それは、まるで酒を飲んで怒り狂う父や祖父のようだった。彼らは腕力による暴力をふるったが、私は筆の暴力、言葉の暴力をふるった。怒りをぶちまけたという点では、なんの違いもない。その結果、暴力的な人脈が、一時的にだが、できたこともあった。

 酒乱の父や祖父を見て、怒りはよくないから、怒らないようにしようと生きてきたつもりだった。だが、それは蓋をして我慢しただけだった。怒ることのない優しい穏やかなパパになりたかったはずなのに、現実は酒乱一族を証明するご乱行だった。

 そして、いま「女性に養われたい」という、みじめな弱い臆病に見える心の正体が、「貪り」の現れであることが、やっと自覚できた。
 これは、愛する女性を物質的・精神的に「むさぼる」行為なのだ。「怠惰」とか「寄生(パラサイト)」とかいわれるが、本質は「貪欲・貪り」にほかならない。貪りは「もっとくれ」「もっとよこせ」「もっと恵んでくれ」しかいわない心だ。お返しすることも知らず、他者に与えることも知らない。以下の旧約聖書の一節を思い出す。

旧約聖書 「箴言」30章15節
 蛭(ひる)の娘はふたり。その名は「与えよ」と「与えよ」

 私の生家の祖父母は、まさにそういう人たちだった。私は確かに彼らの孫だ。彼らの心を、わたしも生きている。彼らと同じか似たカルマの流れのただ中に生きている。

 なんと不健全で醜く悪意を帯びた異常な心を持ったまま生きてきてしまったことか。それでもこれが、私の心なのだ。

 低俗で幼稚で妄想的な病的に過敏な私の心よ、あらゆる苦しみと喜怒哀楽と目をそむけたい情けない感情ばかりをつくりだす私の心よ。

 しかしながら、怒らなければ怒りの恐ろしさはわからず、貪らなければ貪りの恐ろしさはわからず、愚かさを現わさなければ愚かさの恐ろしさはわからない。愛さなければ愛の尊さはわからず、奉仕しなければ奉仕の尊さはわからず、智慧を現わさなければ智慧の尊さはわからない。
 サン・テグジュペリは、『人間の土地』の中で、「人は、人間の働きをしてみて、はじめて人間の苦悩を知る」と書いている。
 これが自分なりの人間の働きの結果だとしても、自分の心を、自分のものだと全面的に認めて知るために、なんと多くのまわり道をしてきたことか。

 それでも、自分で自分を否認否定しなくてよくなった不思議な喜びと安堵がある。隠して背負っていた否認された心の頭陀袋をやっと背中から降ろした気分だ。

 その袋を開けて、その悪臭と不潔さに満ちた心をとりだし、洗ってゆかねばならない。

 本当に、私は自分の心を知らなかったのだ。否認という自分でつくった防壁をこわして、内にある心をとりもどす。
 それは、否認して、存在しないことになっていた、もう一人の私自身との再会である。
 私は、その自分の心に告げよう。
「お帰り、暗くて愚かな私よ。今まで無視してきて、本当にすまなかった。これからは、ともに生きていこう。きみがどんなありさまであっても、私はきみを愛している」

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by ecdysis | 2019-02-28 17:08 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

 二日ぶりにコーヒーを飲んで興奮状態になったためか、昼休みに不思議な感覚に包まれた。
 昨年からときどき起こる、通行人の高齢者や身体に障害のある人たちにとくに感じる「その人はその人をやっている」という感覚だ。もっと詳しくいえば「その人の内在する魂が、現世の今の姿をとり続けることを、自覚せずに本気で生涯かけて使命として遂行し続けている」という感覚である。そのとき、私は名状しがたい感動にとらわれ、なんともいえないありがたさに涙がこみあげてくる。 

 その人が、その人となるために、その人のうちなる魂・神・仏が、産声を上げたときから現在まで、ずっとそのひとの肉体の奥にあって、その人にしか体験できない人生を使命として、自我とともに丸ごと生き続けている。その内なる魂・神・仏の気高さと勇気とに、ただただ「あなたがたは尊い存在です」とありがたくて拝みたくなる。「その人が、その人をやっている」という感覚には、その人が「生きて存在していること自体が尊い」という想いしかわかない。

 むろん、通りすがりのその人の名前も年も住所も経歴も何も私は知らない。通常なら無関心に過ぎ去る赤の他人である。
 しかし、私はそういう感覚になると、もはやその人に無関心ではいられなくなる。その人が、その人であることが、かけがえのないありがたい尊いできごとに感じられてならない。それは「存在そのものへの尊さの感覚」としかいいようがない。

 その感覚を、もっとほかの人たちにも広げてみると、驚くべきことに、すべての通行人が、各人固有の比較できない「尊さ」をもった「気高い存在」に感じられて茫然としてしまう。そして、それが事実であり真実であることを、私は心の奥で知覚する。
 その「尊さ」の前には、その人の肉体的外見や性的魅力の有無は無意味となる。すべてのひとが、無条件に尊いという感覚になれば、外見の美醜や容姿にとらわれることは、むしろ邪魔になるとわかった。

 すべての人が尊いと感じるためには、外見の美醜容姿にとらわれないことが必要だとわかった。いな、外見の美醜容姿に囚われてきたからこそ、今まで一人一人の魂としての存在の尊さがわからなかったのだ。人々に囲まれ人々とともに暮らす私は、ほんとうは「無条件に尊いもの」たちばかりの中で暮らしていると気づかされた。

 私もあなたも彼ら彼女らも、みな一様に「もともと尊い存在」なのだ。その尊いものはダイヤモンドにたとえられる。ダイヤモンドに、もし心があったら、自分のことを価値のない石ころだとおもいこんでいたとしても、決してダイヤ以外のものになることはない。人の魂も同じだ。自我がどれほどの悪人でも善人でも変人でも凡人でも、そのうちにある魂はダイヤモンドだ。

 自我がどれほど汚れて惨めで醜くても、それが魂のダイヤを変質させることはない。今の私やあなたが、いかなる状態にあろうと、魂というダイヤモンドは傷つくことも汚れることもない。たとえ泥をかぶっても糞便だまりの中に落とし込まれても、ダイヤモンドがそれ以外のものになることはない。見つけだされて洗われれば、ダイヤモンドはただちに本来の無傷の美しさを取り戻す。

 私たちの自我・心は傷つき血を流し苦しみ穢れに満ちている。しかし、その奥には無傷の魂というダイヤモンドがあって、自我との出会いを待っているのだ。

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by ecdysis | 2019-02-23 01:25 | スピリチュアル | Trackback | Comments(0)

 ACや心を病んだ人の生き方について、ひとつのたとえ話。

 私は、一隻の貨物船となるべく生まれた。造船所である生家は機能不全で、健康であるべき私の心という船体には、虐待や無視や配慮の無さや無秩序によって、大小のひびや穴が船底にあいた状態で、修繕もされず気づかれもせず、大人になり社会の大海へ出航することになった。
 航行するうちに、どうも浸水しているらしいと感づくが、どうすればいいのかわからない。このままではいつか沈没すると恐れるが、船底がどうなっているかわからないため、浸水の原因も場所もわからず、どれだけの被害かもわからない。ただ、船体が次第に重くなり喫水線も低くなって快適な航行とはいえなくなってくる。恐れと不安は、文字通りひたひたと忍び寄り、安心して航行できない。家庭や仕事の責任という荷物の積載量もどんどん減ってくる。
 そんなある日に、台風に遭遇し大波と大風に対処するため、必死に操船して、日ごろの浸水不安を考える暇がなかった。ほかの船と衝突して船体がどうにかなりそうなときも、日ごろの浸水の恐怖を考えずにすんだ。
 私という貨物船は、それで「台風や事故にあえば浸水恐怖を忘れられる」と知って、今度はみずから台風をもとめて航行し、ほかの船にわざとぶつかっていくようになった。その間にも浸水は進み、事態はどんどん悪くなった。
 そして、ある日、ほとんど沈没寸前の船体を自覚せざるを得なくなり、ほかの船から教えてもらい、航行しながら水を抜いて船底の修理をする方法を学ぶことができた。もちろん、長年の浸水で大量の水が船体内にあり、船の寿命のうちにすべてを排出できるかどうかわからない。それでも船体は徐々に軽くなっていき、一度はほとんどなくなった積載量も、完全な状態でのそれよりは少ないものの回復してゆく。
 だから、少なくなった積載量でも、自分は貨物船として役に立って、沈没の恐怖から逃れて航行が続けられる。毎日、水を排出し、新たに現れる穴やひびを、ひとつひとつ修繕しながら船は進む。

 私と機能不全の生家と、アルコールなどの依存症と自助会の回復のプログラムとの関係は、いま言ったようなたとえ話で説明することができる。

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by ecdysis | 2019-02-16 02:16 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

回復には「喜び」が必須

 罰や非難や批判や悪評や恥辱を恐れて、その恐れを動機として、「まじめに」しているのは本当の「まじめさ」だろうか。
 もちろん、私も含めて多くの人たちは、大なり小なり、自分や家族や知人たちに罰や悪評や恥がくわえられることを「恐れ」て生活している。

 それは、しかし、恐れという鞭で駆り立てられる家畜みたいなものではないかと思える。
 そういう「恐れの鞭」を自分に加えて叱咤するのは、本当に良い生き方といえるのだろうか。
「恐れ」を動機にまじめにしてきた自分は、「恐れ」がなくなると、今度は虚脱して、だらけてふんばりがきかない。
 また、「恐れ」を動機に、完璧にしようと努力してきたが、完璧にはとてもできない事実を知り、逆に「恐れ」だけが宙に浮いて無意味になる。

 鞭打たれなくなった家畜は、好き勝手に散歩して草を食いに行ったり獲物を追いかけにいく生来の行動をとる。そうしないで元の場所に戻って首輪やくびきをつけられるのを待っている家畜は、馴らされきって、もはや自前の行動がとれない、一種、病的な状態となる。鞭打たれることに慣れきって鞭打たれないと働く気にも生きている気にもなれないという状態だ。

 権利とか義務とか責任とかいうのも、「それをやらねば恥」という「恐れ」を根底とした理念である。
 もし、本当に生活の心配や恐れを放棄して、自分自身の真実に純粋に忠実に生きようと思ったら、出家者になるか、さまざまな芸事のスペシャリストになるなど、自己実現の道を多くの人々が選ぶはずだ。

 よく自己実現を「夢を追いかける」という言葉で表現する。自己実現はすなわち何かといえば、「自己表現の喜び」という「喜び」に生きるということだ。だから、恐れに追われる生き方をしている人たちから見れば、「夢を実現した」人たちは、「自己実現」の「喜び」に生きている人たちだから、憧れと羨望の的ともなりファン心理ともなる。

 つまり、今自分がやっていることに、喜びや充実感や楽しみがなく、ただ恐れだけを動機として生き続けることは、人としてあるべき姿ではないといえるだろう。ACや依存症や心を病む人々は、そのことをもっとも深刻に残酷に体現している存在といえる。

 たとえば、薬物依存症者が薬を使い続けると、ひどい被害妄想に陥り、薬物をやめてもときどき強迫的フラッシュバックが起きるように、根底的な「恐れ」があると、いつまでも自分を鞭打つことになる。

 眼前の現実から、私も酒や恋愛で逃げてきたが、「逃げる」とかならず「追いかけられる妄想」が生じる。現実にだれかから何かから追われているわけではないのに、「追われている感覚」が生じて「さらに逃げなければ」という恐れが強化され、さらに依存症状が進行する。

 こうして見ていくと「恐れ」を打ち消すのは「喜び」だけなのだとわかる。まるで「不運」「不幸」を「幸運」「幸福」が打ち消すように、100%ではないにしろ「恐怖」は「喜び」によって打ち消される。

 その喜びを「歓喜」といってもいい。神社仏閣の祭礼・参詣・縁日や、遊園地や映画や、さまざまな芸能人のコンサートなどのイベントやプロスポーツの応援などで、私たちは「歓喜」する。それで生きるちからをもらって、恐れを動機とした日常生活の不健康さを補償している。

「よろこび」とはかくも重要で、健康に生きるために必須な魂の栄養素なのだとわかる。
「恐れ」のために生き続けてきた私のような人が、「喜び」のために生き方を変えられるように、神様、どうか私を励まし、どんな小さなことにも喜べる人間にしてください。恐れの生き方を続けさせようとする「敵(サタン)」の誘惑と悪だくみからお救いください。

 恐れは苦である。苦痛は恐れを産む。肉体の苦痛は恐怖を起こし、その恐怖は心に苦を産む。苦痛がとらわれを産む。とらわれは心に苦を産む。恐れは苦痛の原因であり結果である。恐れと苦痛は因果の関係にある。苦痛を与える家族とそれを恐れ苦しむ私は、苦痛を因とし家族と私を縁として恐れという果を形作った。その逆のパターンで「恐れ」を「喜び」に、「苦痛」を「快楽」に置き換えても同等の因果が導き出される。

 特記すべきは以下。ACの恐れは劇的な苦痛の体験によって生じた。それを打ち消すのは劇的な喜びとは限らない。むしろ、穏やかでささやかな喜びの集積によって癒され救われる。凍った心を溶かすのは溶岩や熱水ではない。春の日差しと温かい風にほかならない。

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by ecdysis | 2019-02-12 04:30 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

引用元『コーラン』(責任編集:藤本勝次/中央公論社・「世界の名著」15/1970年9月30日)

牝牛の章(第2章)

219節 酒と賭矢について、人は汝に尋ねるであろう。答えてやれ。「それらは人々にとって大きな罪悪であるが、利益にもなるだが、罪悪の方が利益よりも大きい」

以下※は心炎の補注
※これは神アッラーが預言者ムハンマド(マホメット)に託宣した言葉。「汝」というのはアッラーがムハンマドをそう呼んでいる。
「賭矢」とは、当時7世紀のアラビアのギャンブルの一種。引用元の訳注にはこうある。
「十人で一頭のらくだを買って公平に肉を分配し、十本の矢をくじとして引き、空くじを引いた三名の者がらくだの値段を支払うという賭事」

食卓の章(第5章)
90~91節 信ずる人々よ、酒、賭矢、偶像、矢占いは、どれもいとうべきものであり、サタンのわざである。それゆえこれを避けよ。そうすれば、おまえたちはおそらく栄えるであろう。サタンは酒と賭矢などで、おまえたちの間に敵意と憎しみを投じ、おまえたちが神を念じ礼拝を守るのをさまたげようとしているのである。それゆえ、おまえたちはやめられるか。

※信者たちに向けた言葉なのがわかる。
現代風にいえば、飲酒、ギャンブル、偶像崇拝、職業的占術などのこと。偶像崇拝は、教祖と幹部によるカネと人集めが目的のカルト宗教と言い換えられるし、占い師も客の金品を目的に詐欺を働くので忌まれたと思われる。形あるものを拝むのが偶像崇拝なのではなく、拝む目的と対象が利己的で私利私欲の現れであることが偶像崇拝に当たる。職業的な占いも、占い師の私利私欲のために客が利用されることで被害が生じるので避けよと命じられている。
サタンとは悪魔であるが、もともとは「敵」という意味。慈愛深い神はサタンを「敵」とは思召さないが、サタンの方が「神を敵視している」のである。
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by ecdysis | 2019-02-09 14:29 | スピリチュアル | Trackback | Comments(0)

 なぜ、いまさら祖母の狂気を思い返すかというと、実は若い頃から、ときおり狂気の小さな衝動が起きる。それはつねに妄想であって現実には起こさないが、自分で思い浮かべて自分でぞっとする加害妄想で原因がわからなかった。私は酒をやめて15年たったが、今でも以下のような妄想が瞬間的にわいてぞっとすることがある。
 もしそれらの妄想のひとつでも実行していたら、いまこうしていられるはずはない。実際に行使したことはまったくない。
 自分の中で時々起こる、こうした自分の意志に反する突発的な衝動性の小さな狂った妄想を列記する。

・電車のホームで人を突き落とす。あるいは自分が電車に飛び込む。
・冷たいものや熱いものを人の素肌に押しつける。
・幼児や乳児を逆さづりにして振り回す。
・通りすがりの異性に痴漢行為を働く。
・刃物で自分を傷つけるか他人を傷つける。
・マンションのベランダから通行人のいる地上へものを投げ落とす。
 
 いずれも犯罪で、狂った行動だ。なぜこのような自分でも忌まわしい妄想が起こるのか、身震いしながら長い間謎だった。
 しかし、この狂気は、一種のフラッシュバックではないかと思い当たる。気も狂いそうな恐怖と衝撃を私は幼少年期に幾度か味わった。そのトラウマは深刻だったし、いまだにすべてが癒えたとは言えない。気の狂った祖母と住んでいたのだから、狂った心があってもおかしくはないが、恐ろしすぎる。
 だからこそ、そのときの気も狂わんばかりの子供の意識が、私の心に作用して何事かを伝えようとしているのだと思える。

 おそらく、うわ~と泣いて言葉にならない恐れと苦痛と絶望と嘆きの叫びをあげているのだろう。
 私は、それを聞いて、そこにいるということを見つめる。否認は決してしないし、あってはいけないとも、いてはいけないとも決して想わない。
 私は気も狂いそうに怖かったときの自分を思い返し、その涙と苦痛と叫びをあるがままに受け入れる。おそらく、その必死な狂気の声が残って響き続けているのだと想うが、それも自分であると認めて生きていくのはもちろんだ。
 私と、その子供は同じ素材、たとえばひとつのお餅の上に生じた大小ふたつのふくらみのようなものだ。だから、両者が手をつないで歩いたとしても、それは親子でも兄弟姉妹でもない。私は、その幼子の分身であるし、その子は私の分身なのだ。私は、彼であり、彼は私なのだ。だから、自分の内なる子供に対して、今の自分が親になれないというのは当然のことで、親子以上の関係性を有しているというのが正しい。

 いまあげた私の狂気の妄想は、ひとつひとつが、祖母の母をひどい目に遭わせたいという虐待者の悪意が現れたものだとすると、関連性があることがわかる。自分か他者を傷つけるという妄想も、のちに祖母が自殺したことを考え合わせると、やはり祖母の影響があるのだと思える。

 これらは、「祖母への恐怖」という一語で総括されそうだ。幼児期の私が迫害者である祖母、虐待者である母の二重の攻勢を受けながら、だれにも助けを呼べずにいた苦しみと、「だれか助けて!」と叫びたかった心が、異常な狂気のような妄想の形で現わされているのだ。

 その「恐怖」の病は、祖父に虐待された祖母と、姑である祖母に虐待された母と、母から虐待され。また父からも直接間接に肉体的精神的な虐待を受けた私という世代連鎖をなしている。

「恐怖」を動機とする行動は、かえって悪い事態を招くという事実を学んではいるが、心をひりつかせるトラウマによる「恐怖」の火は、まだ私の中で消え去ってはいない。その「恐れの火」を吹き消さねばならないのだ。

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by ecdysis | 2019-02-09 00:54 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

 私のこの病というべき恐怖の根源の大きなひとつには、凶暴な精神障害者だった祖母とのかかわりにあったことは間違いない。
 妄想性の過敏さをともなう人格障害者だった祖母は、アル中の夫である祖父と嫁である母への憎悪と被害妄想に満ち溢れていた。日常的に粗暴で気の狂った言動で、私や弟妹や母を常に怯えさせてきた存在だった。

 しかし、私が成人するまで長年にわたって家族であった祖母から、自分の予想をはるかに超える深刻な悪影響があったのではないかと気づきはじめた。無自覚のうちに、彼女の「病的な心」を受け取ってしまったのではないかと、最近、とても気になっている。
 自分が恐れて憎み嫌った家族から、その家族のネガティブな言動を、知らずにとりこんでコピーしてしまう現象が起こっていたようだ。まるで病原性ウィルスのような「精神的感染」現象が起こるということに気づいた。

 親が依存症でACになり、やがて同じ依存症を発症した子供たちは、最初は「親のようにはなりたくない」とだれもが思っていたはずだ。ところが、そのように意志するものの、実際には親と同じような大人になってしまう。
 意志だけでは親と同じになることを避けることはできない。私もそれを思い知った。

 祖母の精神状態がいかであったかは、私自身が18歳のころにまったく同じ精神に異常をきたしたのでよくわかるし、それゆえに一時は殺害を決意するほど憎んだ祖母を許すこともできた。その経緯はすでに、このブログでも記した。
 しかし、許す許さないの次元とは別に、彼女と同じ屋根の下で暮らすことによって受け取ってしまった悪影響の吟味は、この三十年間してこなかった。それを分析し、しっかり表現する時期がきたのかもしれない。

 ふりかえれば、幼稚園時代にいじめられていた恐怖が、人生最初の恐怖体験として大きく映るが、実はすでに三~四歳のころ、かなり強いストレスを感じていたことが、想い起こされる。
 当時の一枚の写真がある。母の膝の上に抱かれてミルキーの箱を片手につかみ、父と三人で撮った写真があるが、母に抱かれた私は泣きべそをかくような顔をして、まったく幸せそうではない。
 おそらく妹が生まれてまもなくで、「ちゃんとしたおにいちゃんになりなさい」という、母の私への支配的子育てが開始されてまもなくだ。
 母の前に正座させられ、「これからは、かあちゃんのことを、かあちゃんではなく、おかあさんと呼びなさい」と一方的に慣れ親しんだ母の呼び名の廃止宣告されたころだ。困惑し母親に素直に甘えることができなくなったと感じたできごとだった。 
 その一方的な宣告には三歳時の私は大いに不満で怒りを覚えているし、手足をばたつかせて叫びだしたい気持ちになっている。ひとことでいうと「ふざけるな」という怒りだったと思う。

 また、被害妄想の強い人格障害だった祖母への恐れも、私に伝染していったようだ。祖母は、同居する若い息子夫婦の稼いだ金銭を搾取していて、どんなささやかな贅沢も楽しみも許さなかった。
そのため、母から以前、聞かされたが、2歳のころの私に、お菓子を買ってあげるのも、祖父母の目を盗むように気をつかって、私にこっそりとくれたのだという。祖母にそれを知られると無駄金を使ったと叱られるので、母は私に「いいかい、お菓子をもらったって、だれにもないしょにするんだよ」と、私に命じたのだという。
 しかし、子供の私には母のいうことが理解できなかったらしく、お菓子をもらってうれしかったのか、翌日、祖母のいる前で「かあちゃん、きのうお菓子をもらって食べなかったもんね~」とあどけなく告げて、母をあわてさせ祖母を怒らせたという。

 同じように、3歳ぐらいのとき、祖父に庭先のものかげに呼ばれ、「さあ、はやくこれを吸って食え」と卵の先端につまようじの先大の穴をあけた一個の鶏卵を差し出された。
 半世紀前の東北の片田舎では、卵は、牛乳・バナナなども同じだが、今では想像もつかないほど貴重な食品だった。なにしろ、農家が鶏を飼って生んだ卵を、一個単位で納入してその代金を農協の個人の預金通帳に積み立てる「たまご貯金」という名目の口座が当たり前だった時代のことだ。もちろん、私の生家でも鶏卵は現金収入の手段のひとつだったらしく、祖母が卵を自家消費することを嫌って目を光らせていた。当時は乳牛も飼っており、生乳の缶を集荷所に持っていく父たちの姿をおぼろげに覚えている。
 刺激すると面倒な祖母の目を盗んで、祖父が孫かわいさに、卵をこっそり一個失敬して、食べさせてくれたのだ。
 そのとき、祖父も私にこういって卵を渡した。
「早く食え、ばあちゃんにみつかんないようにな。卵もらったっていっちゃだめだぞ」と、また幼児に口止めである。
 家族として当然の愛情表現の食べ物をもらって、なぜ口止めされねばならないのか。なぜ、素直にありがとうといわせてくれなかったのかと、今の私なら抗議するところだ。

 この時点で、すでに両親も祖父も、祖母の人格障害に巻き込まれて、私もその病理に巻き込まれて、人からものをもらうことや、してもらうことに、素直に感謝できず、罪悪感や秘密のもどかしさをともなうようになっていたのだと思う。
 そのとき、祖父からもらった卵の黄身の甘さは、いまだに記憶に残っている。おいしい卵だった。
 このように、家族全員から恐れられた祖母を、私も妹も、のちには弟も恐れるようになった。その恐れは、恨みになり、憎しみにもなった。

 祖母には、以下のような病気の言動があった。
 まず猜疑心。たとえば身の回りものがなくなると、根拠もなく家族のだれかがとって隠したことを疑う。また、わざとなくしたふりをして、母にいいがかりをつけることもたびたびあった。
 罪のないもの、正しいものを、ひきずり落とし、無傷のものを傷つけたいサディズム。清らかなもの美しいものを、その清さと美しさのゆえに憎み呪う。自分が持てないと思ったものを持っていると感じた相手を激しく嫉妬して憎む。
 自分は不当に嫌われており、家族がいつも自分について陰口をいっているという妄想を持っていた。

 他人の悪意や反感には極度に敏感で、即座に暴言を吐いて罵り、ひどい場合は暴力をふるったり唾を吐きかけたりした。
 家族以外の赤の他人への外面だけは非常によかった。列車や旅館でゆきずりに出会う人たちには、家の中では想像もできないほどの快活な善人を演じる。その出会った人たちがみな、「こんなおばあさんなら、うちにもいてほしい」というほど、陽気で愉快で人のいいお婆さんに変身する。しかし、家に戻ったり、身内になったり、入院先で同室になったりした人たちには、気の狂った鬼婆である。

 おそらく本人も原因がわからなかったと思うが、いつも不機嫌でいつも怒りっぽく、手負いの獣のようだった。私たち家族は、本当に腫物にさわるように恐れながら暮らしていた。祖母が温泉に宿泊湯治にいったり旅行にいって家をあけるときは、本当にほっとしたものだ。
 もちろん、祖母が戻ると、彼女はすぐに自分がいない間に、家族が自分の悪口をいって自分をのけものにして楽しいことをしたのではと、疑惑の探索をはじめるので、祖母が帰宅すると家じゅうが緊張していた。

 うつ病も持っていたらしく、入浴することが少なく臭かった。母が嫁にくるずっと前に肋膜炎の大手術をしたが、それは夫である祖父が酔って自分を蹴飛ばしたからだと何度も被害者であることを訴えていた。私が高校生になって祖母に反抗して突き飛ばすと「孫にまでいじめられる」と自己憐憫の涙を流すこともあり、深刻な病的自己憐憫の持ち主だった。

 これらの祖母と同様の行為、もしくは精神態度や妄想を私も受け継いでいるのではないかと気になる。実際に小学校五年のときに、人を疑う私の悪い癖を、母方の祖母に指摘されていたほどだ。

 もちろん、そんな祖母を恐怖しながら冷や汗をかきながら仕えていた母の恐怖をも、私は受け取り、そんな母のストレスのはけ口のように、私自身が母から虐待された。だから、私は祖母と母の二世代の狂気とストレスをまともに受け取って育ったのだ。
 その逃げ場のない「恐怖の家」を、なんの心の麻痺も逃避も依存もなしに生き延びることは不可能だった。

 そういう環境で、まずアルコールが苦手だった母が、飲酒による快感への逃避を覚え、私が中学校2年のときには、キッチンドリンカーになっていた。私や弟が同様になることも不可避だった。
 こうした環境下で、アルコール依存症になり、引きこもり・うつ病・被害妄想・誇大妄想・パニック障害・対人恐怖・女性依存・抜毛症など、一通りの症状を経験してきた。

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by ecdysis | 2019-02-09 00:47 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

 母親からの虐待や祖母・祖父への恐怖や幼稚園でのいじめで、小学校低学年のころまでの私にとって、世界は恐怖そのものだった。出口のないお化け屋敷にいるようなもので、すでに幼児性の抑うつを発症していたとわかる。

 そんな中で、私が安心してかかわれる相手は、3歳下の妹だけだった。妹という自分より弱い相手とかかわるときのみ、安心できるという人間関係の構図が、すでにそのときつくられたのだとわかる。

 六歳のとき、父母と妹と四人で県内の港町に引っ越しアパート暮らしをはじめた。父は首都圏に出稼ぎにでかけて、母子で三人暮らしだった。そのころ、兄だからという理由で、妹の面倒をみるよう言われて、母が私たち兄妹だけを残してひとりで買い物にでかけて、私はひどい孤立感を味わった。あのときは母が帰ってくるのを待ちかねて、妹の手をひいて母をさがして外に出て、迷子になって大泣きした。近所の見知らぬおじさんおばさんに助けられて、あとで母に引き合わせてくれたからよかったものの、幼い子供二人をおいてひとりで買い物へいくかねと、今の私なら当時の母に文句をいいたいところである。その後、やはり子供時代に妹と二人で孤立感を味わう場面があり、私は自分が寂しいときに、自分が面倒をみるべき弱い立場の相手と一緒にいるというシチュエーションに適応してしまったのだろう。

 こうした自分の「自分より弱いものへの傾倒」は、大人になると「自分より弱いものに引きつけられる」というACの特徴となって現れるのを自覚した。脳内に、トラウマと恐怖と有力感の回路ができてしまったのだ。

 私は、病的な女性とばかりかかわってきたと何度か書いてきたが、それもそのはずで、すでにアルコール依存を発症するほどのACである私が、「安心できる自分より弱い相手」を選ぶとすれば、それは「自分よりも重症のACの女性」しかいないではないか。
 すなわち、私の異性関係の基本は、この「自分より弱い相手に安心を感じる」という感覚そのものに問題があると見えてきた。
 これは、別の言い方をすれば「自分の方が優位である場合に安心感を覚える」という「相手への有力感」にほかならない。つまり、「相手への有力感」と「安心感」がイコールで結ばれているのは、不健康なことなのだとわかる。

 なぜなら、本当の安心感は、自他の比較の必要はなく、自分が無力で弱くても大丈夫であるという、他に自分を全面的にゆだねている気持を基本とするからだ。
「自分の方が優位でなければ安心できない」というのは、本当の安心感ではない。それは条件付きの安心感であるがために、決して身も心もリラックスできる安心感には至れない。
 大切なのは「自他の優劣」という比較競争ではなく、「自他の平等対等」という家族内で体験すべきだった健康な関係性なのだ。
 私はアルコール依存の自助団体に通い、そこの人々とつきあいを続けることで、「対等な人間関係」を初めて実感するようになった。

 自分より弱いものに安心を感じるということは、逆に自分と対等か優れた相手には、恐れと不安を感じるということだ。それが、対等か自分より優れた相手への嫉妬や非難や中傷や攻撃などに変形された悪意として発現する。しかし、その場合、わたしもそうだが、恐怖を感じる相手への恐怖を自覚することはほとんどない。ただ、恐怖は、その相手への過敏な非難や嫉妬やネガティブな評価という感情で現れる。しかも、その非難・嫉妬・否定的評価が、内なる子供の恐怖が変形して現れているという自覚もほとんどない。

 さらに、その内なる子供の恐怖は、あくまで主観によるもので、客観的に恐怖すべきものかどうかは問題ではない。内なる子供が「こわい。いじめられる。痛めつけられる」という脅威を感じたら、もうそこで恐怖による感情行動が発動してしまう。

 深刻な恐怖に打ちのめされた子供の私は、「自分より劣ったもの相手なら安心である」という体験によって、自分から見て自分の方が優れていると思う相手ばかりを友人に選んだ。一時期、近所の友達が全員女子だったこともあるほどだ。

 その一方で自分が有力になっていく方法を探した。自分が有力になれば、その分、自分より劣った相手の数が増える。それは、自分にとっての安全圏の拡大を意味し、安全圏の拡大は恐怖を遠ざけることになる。

 相手より優位に立つ方法は、私の場合は学校の成績をよくすることだった。恐怖から逃れるために、学校の図書室で貸し出す本の読書を好んだ。その結果、知識が増えて、ほかの児童生徒より理科や社会のテストの結果がよくなり、有力感が増したため授業でも積極的に手を上げるようになり、教諭の覚えもめでたくなり、私の学校での安全圏拡大はひとまずうまくいったけれど、家に帰れば相変わらず、そこは恐怖と脅えに支配された場所でしかなかった。むしろ、学校で安全圏が拡大するのと反比例して、家庭の状況は悪化していった。

 いわゆる「家ではいい子、学校では優等生であること」が唯一の保身だった。しかし、高校が進学校だったため、私はもはや優等生ではいられなくなった。私を支える「安全圏」が消失した。私は、もはや自分には価値がないと感じ、ひどい劣等感にさいなまれ、優等生であることで否認してきた自分の生い立ちのひどさを見ざるをえなくなり、16歳のときにフラッシュバックが起こって精神的に壊滅状態になった。その先にアルコールが手をのばせばすぐそこにあり、母と同じく生きる苦しみを泥酔することによってまぎらわせ麻痺させることを覚えた。

 私の短気ないらだちや怒りっぽさや妬み深さも、「恐怖」が関与している。アルコール依存症の症状であると同時に、それは同じ病気だった祖父の心であり、粗暴で理不尽な言動を重ねた人格障害の祖母の心でもあったと気づく。
 これは、とても生きづらく苦しい感情生活だ。ささいな他人の言動に責めと裁きの憤りを発し、自分よりすぐれた言動や業績をあげている人間を見ると、むらむらと妬みの心が湧いて不愉快になる。心の狭さというものは、他人を不愉快にさせるのはもちろん、本人にとっても苦しみでしかない。心の狭い人は、その心の狭さによって本人がいちばん苦しんでいるのだ。

 釈迦やキリストの教えや神道・儒教の学びをする一方で、こうした幼児的で病的な感情に苦しめられる。これは、私が祖父母におびえ恐れ苦しめられた生い立ちのうちに、彼らから刷り込まれ、また無自覚のうちに学んで習得してきたことだとわかる。

 つまり、私は心の病み方も傷つき方も、心の狂い方も、祖父母から学んだということだ。

 その学んだ心の病み方の根底にあるのは、「恐れ」だ。屈辱を受けること、排斥されること、孤立させられること、笑い物になること、挽回しようのないどん底の恥のただ中に置かれること、責めと裁きに追いつめられること。それらを何よりも恐れていたことがわかる。
 それらの「恐れ」は、実はアルコール依存症の祖父が、酔って自分の住む村落と近隣の人々に迷惑をかけた結果、こうむった非難と蔑視の経験のはずである。根拠も理由もなく、責めや裁きを健康な人々が下すことはない。

 祖父がアルコール依存症になったのは、親である曾祖父が酔って日本刀をふりまわす酒乱だったことにある。その幼児期の救いようのない強烈な恐怖のトラウマ体験があったからだと推測できる。自分の生存が極度に脅かされるという恐怖の体験がトラウマとなり、そこからアルコール依存症や、十五歳ごろから売春宿に入り浸るなど性依存症に陥ったと考えられる。アルコール依存のあげく三十三歳で死んだ私の弟も、父親を極度に恐れ憎んだまま死んでいった。
 祖父も、トラウマと依存症が発症して進行するプロセスで祖母と結婚し、五人の子を育てなければならなかったのだから、そのストレスは筆舌に尽くしがたかっただろう。

 人間として非常に不健康な人格形成をおこない、心の病気を発症している祖父のような男が、ちゃんとした家庭を営むのは無理だ。あるいは、私の父親は明らかな発達障害なので、祖父もそうだったのかもしれない。

 ゆえに、私の怒りや妬みの問題は、実は私自身のみならず、親や祖父母たちにもあった問題であるとみなせる。
 人は対等な会話においてこそ孤独を癒す。対等でない支配・被支配の関係は孤独しか生まない。アルコール依存症による典型的な症状である自我肥大は、孤独感・孤立感を産んで、ひとつもいいことはない。加えて、特有の「わたしは正しい、みんな従え」という気持ちも救いようのない孤独を生む。曾祖父も祖父も父も母も弟も私も叔父叔母も、全員がその「酔いの孤独感」に打ちのめされて死んでいったのだ。

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by ecdysis | 2019-02-09 00:32 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

渇愛はACの自分の源

 渇愛という欲愛は、前世からひきずる足枷の鎖玉のようなもので、まさに煩悩具足の凡夫たる私自身の正直な姿です。
 生まれてから、この鎖玉をはずしたことが一度もありません。五官に感じる名前と形のあるものに強く依存し、渇愛の奴隷として生きるのが当たり前だったので、解放奴隷の自由人になれたことも一度もないのです。

 私は、解放されたい。カルマの煩悩から、渇愛の奴隷状態から解放されたい。

 必要だったのは安心できる安全な時と場でした。今の私には、その場があるし作り得ます。座禅によって、神社と神棚への礼拝奏上によって、安心安全な自分の居場所を確認できます。内省がそれを可能にしました。

 そうなりはじめてから今にいたるまで、十数年かかっています。それでもまだ穢れを愛し求め、穢れを楽しみ欲望する自分がいます。卑猥で幼稚で卑怯かつ盲目な欲情にすがりついている自分です。それが「渇愛」というものであることを、最近学んだばかりです。

 渇愛と知らずに依存していた。そうせずには生きのびられないほど、過酷な家庭環境でした。家庭や職場や恋愛や知人関係など、現実の人間関係の与えるストレスが過重でした。
 その過重さを緩和しリラックスさせる息抜きやストレス解消の手段が酒や自慰などへの依存でした。恋愛感情への依存は、過重な責任や仕事でふんばるためのものでした。自分で自分を励まし、義務と責任をまっとうさせる励みだったのです。
 祈りと座禅を両立させるまでは、日々のストレス解消の手段は、依存のほかにはありませんでした。

 神道の教えと、座禅と仏教の素晴らしさを知らずに生きていた時代の苦しみたるや筆舌につくしがたい。アダルトチャイルドということばだけで到底くくれるものではありません。

 とにかく、渇愛を自覚できず、苦を苦と認識できませんでた。苦のもとを苦のもとと自覚できず、安楽や快感のもとだと思いこんでいました。だから、「一切が皆、苦である」という法印が理解しにくかったのです。そのときは、快楽で愉悦であっても、時間がたてば同じ楽しみが二度と来ないことを知り、求めても得られず戻ってこないことを思い知る苦しみになります。これを「壊苦(えく)」というそうです。

 しかし、自分と他者、あるいは他者どうしの間での出来事の多くは、苦しみや悲しみに終わることが多いです。貪り、怒り、高慢、愚かさに加え、恐れ、憂い、嘆き、悩み、妬みのともなわない人間関係を、人はどれだけ持ち得るでしょうか。
 もちろん、喜びや楽しみの多い関係もあります。しかし、それも毎回、いつでもというわけにはいきません。楽しい思い出という記憶にはめぐまれても、必ず互いの老・病・死の苦痛と悲しみがやってきます。

 ストレスが強まると、何かとみだらなものでまぎらわせようという想いがわき、パソコンの淫猥なサイトの画像を見てしまいます。すれちがう女性たちに押さえつけている欲情の炭火が熾きます。煩悩の焔と簡単に表現して済むものではないのです。
 これが、私が穢れを欲し穢れを愛している証拠です。欲愛の炭火が燃えています。それを消火しなければ霊的平安はありません。涅槃(「ニルヴァーナ」)とは「吹き消す」という原義だそうです。煩悩の火を消してしまい灰にしてしまうのが涅槃なる悟りの境地なのでしょう。

 雑念妄念は、盲目の欲望たる渇愛より起こります。ものごとに集中しているとき以外、雑念と妄念は絶えず起こります。しかし、雑念は善でも悪でもありません。生きていれば必ずあるものなので、それを裁いたり自己嫌悪したり否認したりは意味がありません。それは、大小便の排泄欲求と同じようなものです。頭でいくら否定しても、あるものはあるし排泄しない限り楽にはならないのといっしょです。善悪や理非曲直などの価値観・判断の対象ではありません。

 雑念妄念やとらわれは、自分の心に関する無知、すなわち無明によるといえますが、無明とは、言い換えれば「闇」「盲目」ということです。盲目で生きていれば、手をひいて導いてくれる人や杖を信じなければ怖くて一歩も歩めません。聖人賢哲こそ、盲目な私の導き手であり、その知恵の言葉が糧です。

 私も人も、みな現在の姿は、いくつもの過去世で経験してきたことと、現世の過去との集大成であると思うようになりました。長所も短所も善も悪も努力も怠惰も今の自分は、現世だけが原因ではないと。何回もの前世のすべての集大成が今の自分なのだから、なりたくてなった姿でもあるし、なりたいと思わずとも、なってしまった姿でもあります。
 いくつもの過去世の人生で体験した愛憎も好悪も快苦も悲喜も努力も挫折も憧れも失意も有頂天も落胆も、すべての生活経験と情緒的経験の集大成が、今の自分なのだと思えば受け入れざるをえません。釈尊の教えに従えば、そういうことになります。

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ガンジス河



by ecdysis | 2019-02-04 02:03 | スピリチュアル | Trackback | Comments(0)

ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com(exciteメールは2018/9/18をもって使用不能となりました)