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 アルコール依存に陥った母と私が思い描いた「完全な幸福」「こわれない最高の幸福」が、この世にはないものなのだと、最初に思い知らされたのは、十年ほど前に知った「平安の祈り(小さなお祈り)」の続編の中だった。
 自助グループでよく唱えられる「平安の祈り」には、公式の定説というわけではないが、続編とされるものがある。それを読んだときだ。

 そこには、こう書かれてあった。

Living one day at a time,
今日一日を生き
Enjoying one moment at a time;
この一瞬を楽しみ
Accepting hardship as the pathway to peace.
苦難を平和への小道として受け入れ
Taking, as He did, this sinful world as it is,
この罪深い世を、その通りに受け取ろう。
not as I would have it.
私が意図したようにではなく、彼(イエス)がしたように。
Trusting that He will make all things right if I surrender to His Will;
信頼しよう。彼の意志に服すれば、すべてが正しくなされることを。
That I may be reasonably happy in this life, and
そうすれば、私はこの生涯で、ほどほどの幸せを
supremely happy with Him forever in the next.
次の(死後の)世界では、彼とともに至福を得るだろう
Amen
アーメン

 ここにある「彼」を「イエス」と固定せず、釈迦や古今東西のハイヤーパワーの御意志を生きた聖人ひとりひとりに読み換えても問題はない。
 表現は英語でキリスト教文化の体裁だが、本質的には古今のまともな宗教や思想でも、形を変えて同じことが唱えられている。
「苦難」とは「目的のための試練と忍耐」を意味し、「罪深い世」は、責め裁く言葉ではなく、悲しみと憐れみと慈しみをもってこの世界を見つめる側の表現である。「罪深い」というのは、「罪を罪と自覚できずに罪を重ねて、より神から遠ざかり不幸になっていく世界」ということ。その世界を、罪から解放するために人知人為で変えようとすることは無理なのだということ。その無自覚の罪の世界と悲惨さを、まるごと世界の実相として、楽観視することなく、絶望視することなく、否定も拒否もせず、いまこのようにあるべくしてあり、やがてはなるべくしてなり、変わるべくして変わっていくことを信じつつ受け入れる。

 仏教でもこの世界を「忍土(サハー)」いわゆる「娑婆(しゃば)」と呼んで、「忍耐すべきことの多い苦しい世界」を意味する言葉で表している。
 ちなみに「忍土」の「忍」は、「悟りに向かうための忍耐」をも意味するので、「平和への小道」としての「苦難」とも重なる。
 pathwayは「小道」「踏み分け道」で、アスファルトで舗装された幹線国道や高速道路ではない。
 人の足跡がたくさん連なってできた道で、一人一人が、自分の脚で一歩一歩踏みしめて歩く道を意味する。 

 私が衝撃を受けたのは、末尾の二行「私はこの生涯でほどほどの幸せを、次の世界では彼とともに至福を得る」というところだった。
 これは「現世で至福(最高の幸福)を味わうのは不可能で、生きている間はほどほどの幸せしか得られない」と宣告されたも同然だった。

 生きている間に、条件さえ整えば、いつか最高の幸福が味わえると頭から思い込んでいた私には、まさに冷水を浴びせられた心地がした。

「おまえの求めてきたものは、生きている間には得られない。どうがんばっても、そこそこのほどほどの幸福しか得られないのだ。さっさと至福を求めるのをあきらめて、ほどほどの幸福で満足せよ」と判決がくだされたかのようだった。
 愕然としたが、私はその判決に異議申し立てはしなかった。できなかったといっていい。自分の中で、何かがまちがっている、何か大事なところで大きな錯誤を持っていると感じてきたことが、その判決内容だと理解できたからだ。

 私が酒に逃げたのも、母や弟や父や祖父がアルコール依存に陥ったのも、「何もかも自分の想う通りになる至福の状態」を求め想定してきたからにほかならない。ギャンブル依存でも薬物依存でも、「現実の辛さを何もかも忘れるために依存する」ことは「何もかも思う通りになる至福の状態」を求めているが故である。言い換えれば、不可能を可能と信じて依存対象にすがっているのだ。

 ありえない至福をありえると信じている間、もしだれかが「その至福の半分だったら味わえる」「数分の一だったら体験できる」といわれても、私はノーといったであろう。100%純粋の至福でなければならなかったのだ。

 しかし、それはまったくの空想妄想で、現実には世間でいう「ほどほどの幸せ」で満足するほかはないのだと認めざるをえなかった。
 至福を味わえないでいるのは、私だけでなくすべての人間がそうだとわかったからだ。

 現世に生きる人間にはだれにも不可能とわかった以上、ほどほどの自分のおかれた状況にふさわしいリーズナブルな幸福で満足する以外に幸福感はないのだと受け入れるほかなかった。

 強い快楽の刺激も有頂天も陶酔も、一時的なもので「至福=永続する壊れない最高の幸福」ではありえない。酒だろうと、薬物だろうとギャンブルだろうと食べ吐きだろうと、刺激も有頂天も陶酔も、酔った感覚はすべて、幸福感ではないのだ。

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by ecdysis | 2019-07-12 16:37 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

 不自由で苦痛な心を病んだ人たちとの家庭生活の中で、母も私も「永続する完全な自由と壊れない幸福」というものがあると信じて求めてしまったのだと思う。

 今なら、そんな自由も幸福もあるわけがないと言えるが、40年前はそうではなかった。母はキッチンドリンカーになり、私も飲酒をはじめていた。辛すぎる現実を生きるには、どこかに完全な永続する自由と幸福があると信じ込んで生きるほかはなかった。

 私が求めたのは、ひとことでいえば「何もかも自分の思う通りになる生活」だ。完全な永続する幸福は、何もかも自分の思う通りになる生活を手に入れることだと信じた。それゆえに、金銭と名誉がなくてはならず、野心をもってそれを実現することが最短だと高校時代の終わりには信じるようになっていた。

 だが、むろん野心などかなえられるわけもなく、ほどなくしてそれはついえたが「完全な幸福」を求めることはやめなかったし、それこそが必要なものだと信じていた。それが、はっきりと妄想だと胸落ちしたのは、ここ数年のことだ。普通の健康な人なら、とっくの昔に知っていることだろうに、私はそれすらわからないで、妄想を現実たりうると信じこみ、ありえないものを求めてしまったのだ。

 しかし、座禅を毎日のように組み、仏教を独習し、諸行無常の事実を思い知ることで、「完全な幸福」という妄想を捨てなければ、決して心の健康さと安らぎを得ることはできないと悟った。

 もう二十年以上も断酒している、あるアルコール依存を持つ知人が「何もかも自分の思う通りになれば、それが最高だろうけれど、現実は決してそうはならない」と語っていたが、私は思わず「そりゃ、ちょっと違うのでは」と言いたかった。

 現実が決してすべて自分の思う通りにならないのを、その人が認識しているのは良いことだ。問題は、前半の「何もかも自分の思い通りになれば、それが最高だろう」という考え方にある。これは、まことにもって私や母が持っていた妄想と同じもので、依存症の人の考え方のひとつの特質なのかもしれない。

 その人の苦しみが、それで洞察できた。「すべて自分の思い通りになる最高の状態」を想定している間は、常にそうではない現実にぶつかって、心が苦しみを感じているはずだ。そんな状態は、そもそもこの世にはありえず、求めることも想定することもすべきではないのだ。なぜなら、それは苦しみしか生み出さないからだ。

 こわれない幸福も自由も、この世界にはひとつもない。何もかも思う通りになって、素晴らしい生活を得て、それで聖人君子になったなどという人はいない。金銭的に思う通りになるという一事だけでも、宝くじで莫大な収入を得て、それで享楽に走り、賭け事や麻薬にのめりこみ人生を破滅させた人々はたくさんいる。

「何もかも自分の思う通りになる」という状態を想定し、求めることは、実は人生に苦痛をもたらし、狂わす最大級の妄想なのだと思う。
「すべてが自分の思い通りになればなるほど幸福の度合いが上がる」とみなすのは、人を滅ぼす恐るべき邪見というほかはない。
 幸福とは、そういうものではないのだと、やっとこの年になってわかってきた。

 よくいわれることだが、今ある現実の中で自分が持っているもの、満たされているもの、愛しているものに、地味でも小さくても深い幸福感を覚えることが、健全な安らぎある幸福感というもので、強い刺激や有頂天や陶酔は「幸福感」ではない。

 健全な幸福感には、依存性がないし、それが去っても孤独感や強迫観念をもつこともない。しかし、強い刺激や有頂天や陶酔は、ともすれば依存症への入り口になるし、去ったあとは孤独感や強迫性が生じる。

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by ecdysis | 2019-07-12 16:33 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com(exciteメールは2018/9/18をもって使用不能となりました)