人気ブログランキング |

 ACや心を病んだ人の生き方について、ひとつのたとえ話。

 私は、一隻の貨物船となるべく生まれた。造船所である生家は機能不全で、健康であるべき私の心という船体には、虐待や無視や配慮の無さや無秩序によって、大小のひびや穴が船底にあいた状態で、修繕もされず気づかれもせず、大人になり社会の大海へ出航することになった。
 航行するうちに、どうも浸水しているらしいと感づくが、どうすればいいのかわからない。このままではいつか沈没すると恐れるが、船底がどうなっているかわからないため、浸水の原因も場所もわからず、どれだけの被害かもわからない。ただ、船体が次第に重くなり喫水線も低くなって快適な航行とはいえなくなってくる。恐れと不安は、文字通りひたひたと忍び寄り、安心して航行できない。家庭や仕事の責任という荷物の積載量もどんどん減ってくる。
 そんなある日に、台風に遭遇し大波と大風に対処するため、必死に操船して、日ごろの浸水不安を考える暇がなかった。ほかの船と衝突して船体がどうにかなりそうなときも、日ごろの浸水の恐怖を考えずにすんだ。
 私という貨物船は、それで「台風や事故にあえば浸水恐怖を忘れられる」と知って、今度はみずから台風をもとめて航行し、ほかの船にわざとぶつかっていくようになった。その間にも浸水は進み、事態はどんどん悪くなった。
 そして、ある日、ほとんど沈没寸前の船体を自覚せざるを得なくなり、ほかの船から教えてもらい、航行しながら水を抜いて船底の修理をする方法を学ぶことができた。もちろん、長年の浸水で大量の水が船体内にあり、船の寿命のうちにすべてを排出できるかどうかわからない。それでも船体は徐々に軽くなっていき、一度はほとんどなくなった積載量も、完全な状態でのそれよりは少ないものの回復してゆく。
 だから、少なくなった積載量でも、自分は貨物船として役に立って、沈没の恐怖から逃れて航行が続けられる。毎日、水を排出し、新たに現れる穴やひびを、ひとつひとつ修繕しながら船は進む。

 私と機能不全の生家と、アルコールなどの依存症と自助会の回復のプログラムとの関係は、いま言ったようなたとえ話で説明することができる。

c0032696_02160557.jpg

 

# by ecdysis | 2019-02-16 02:16 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

回復には「喜び」が必須

 罰や非難や批判や悪評や恥辱を恐れて、その恐れを動機として、「まじめに」しているのは本当の「まじめさ」だろうか。
 もちろん、私も含めて多くの人たちは、大なり小なり、自分や家族や知人たちに罰や悪評や恥がくわえられることを「恐れ」て生活している。

 それは、しかし、恐れという鞭で駆り立てられる家畜みたいなものではないかと思える。
 そういう「恐れの鞭」を自分に加えて叱咤するのは、本当に良い生き方といえるのだろうか。
「恐れ」を動機にまじめにしてきた自分は、「恐れ」がなくなると、今度は虚脱して、だらけてふんばりがきかない。
 また、「恐れ」を動機に、完璧にしようと努力してきたが、完璧にはとてもできない事実を知り、逆に「恐れ」だけが宙に浮いて無意味になる。

 鞭打たれなくなった家畜は、好き勝手に散歩して草を食いに行ったり獲物を追いかけにいく生来の行動をとる。そうしないで元の場所に戻って首輪やくびきをつけられるのを待っている家畜は、馴らされきって、もはや自前の行動がとれない、一種、病的な状態となる。鞭打たれることに慣れきって鞭打たれないと働く気にも生きている気にもなれないという状態だ。

 権利とか義務とか責任とかいうのも、「それをやらねば恥」という「恐れ」を根底とした理念である。
 もし、本当に生活の心配や恐れを放棄して、自分自身の真実に純粋に忠実に生きようと思ったら、出家者になるか、さまざまな芸事のスペシャリストになるなど、自己実現の道を多くの人々が選ぶはずだ。

 よく自己実現を「夢を追いかける」という言葉で表現する。自己実現はすなわち何かといえば、「自己表現の喜び」という「喜び」に生きるということだ。だから、恐れに追われる生き方をしている人たちから見れば、「夢を実現した」人たちは、「自己実現」の「喜び」に生きている人たちだから、憧れと羨望の的ともなりファン心理ともなる。

 つまり、今自分がやっていることに、喜びや充実感や楽しみがなく、ただ恐れだけを動機として生き続けることは、人としてあるべき姿ではないといえるだろう。ACや依存症や心を病む人々は、そのことをもっとも深刻に残酷に体現している存在といえる。

 たとえば、薬物依存症者が薬を使い続けると、ひどい被害妄想に陥り、薬物をやめてもときどき強迫的フラッシュバックが起きるように、根底的な「恐れ」があると、いつまでも自分を鞭打つことになる。

 眼前の現実から、私も酒や恋愛で逃げてきたが、「逃げる」とかならず「追いかけられる妄想」が生じる。現実にだれかから何かから追われているわけではないのに、「追われている感覚」が生じて「さらに逃げなければ」という恐れが強化され、さらに依存症状が進行する。

 こうして見ていくと「恐れ」を打ち消すのは「喜び」だけなのだとわかる。まるで「不運」「不幸」を「幸運」「幸福」が打ち消すように、100%ではないにしろ「恐怖」は「喜び」によって打ち消される。

 その喜びを「歓喜」といってもいい。神社仏閣の祭礼・参詣・縁日や、遊園地や映画や、さまざまな芸能人のコンサートなどのイベントやプロスポーツの応援などで、私たちは「歓喜」する。それで生きるちからをもらって、恐れを動機とした日常生活の不健康さを補償している。

「よろこび」とはかくも重要で、健康に生きるために必須な魂の栄養素なのだとわかる。
「恐れ」のために生き続けてきた私のような人が、「喜び」のために生き方を変えられるように、神様、どうか私を励まし、どんな小さなことにも喜べる人間にしてください。恐れの生き方を続けさせようとする「敵(サタン)」の誘惑と悪だくみからお救いください。

 恐れは苦である。苦痛は恐れを産む。肉体の苦痛は恐怖を起こし、その恐怖は心に苦を産む。苦痛がとらわれを産む。とらわれは心に苦を産む。恐れは苦痛の原因であり結果である。恐れと苦痛は因果の関係にある。苦痛を与える家族とそれを恐れ苦しむ私は、苦痛を因とし家族と私を縁として恐れという果を形作った。その逆のパターンで「恐れ」を「喜び」に、「苦痛」を「快楽」に置き換えても同等の因果が導き出される。

 特記すべきは以下。ACの恐れは劇的な苦痛の体験によって生じた。それを打ち消すのは劇的な喜びとは限らない。むしろ、穏やかでささやかな喜びの集積によって癒され救われる。凍った心を溶かすのは溶岩や熱水ではない。春の日差しと温かい風にほかならない。

c0032696_04295444.jpg


# by ecdysis | 2019-02-12 04:30 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

引用元『コーラン』(責任編集:藤本勝次/中央公論社・「世界の名著」15/1970年9月30日)

牝牛の章(第2章)

219節 酒と賭矢について、人は汝に尋ねるであろう。答えてやれ。「それらは人々にとって大きな罪悪であるが、利益にもなるだが、罪悪の方が利益よりも大きい」

以下※は心炎の補注
※これは神アッラーが預言者ムハンマド(マホメット)に託宣した言葉。「汝」というのはアッラーがムハンマドをそう呼んでいる。
「賭矢」とは、当時7世紀のアラビアのギャンブルの一種。引用元の訳注にはこうある。
「十人で一頭のらくだを買って公平に肉を分配し、十本の矢をくじとして引き、空くじを引いた三名の者がらくだの値段を支払うという賭事」

食卓の章(第5章)
90~91節 信ずる人々よ、酒、賭矢、偶像、矢占いは、どれもいとうべきものであり、サタンのわざである。それゆえこれを避けよ。そうすれば、おまえたちはおそらく栄えるであろう。サタンは酒と賭矢などで、おまえたちの間に敵意と憎しみを投じ、おまえたちが神を念じ礼拝を守るのをさまたげようとしているのである。それゆえ、おまえたちはやめられるか。

※信者たちに向けた言葉なのがわかる。
現代風にいえば、飲酒、ギャンブル、偶像崇拝、職業的占術などのこと。偶像崇拝は、教祖と幹部によるカネと人集めが目的のカルト宗教と言い換えられるし、占い師も客の金品を目的に詐欺を働くので忌まれたと思われる。形あるものを拝むのが偶像崇拝なのではなく、拝む目的と対象が利己的で私利私欲の現れであることが偶像崇拝に当たる。職業的な占いも、占い師の私利私欲のために客が利用されることで被害が生じるので避けよと命じられている。
サタンとは悪魔であるが、もともとは「敵」という意味。慈愛深い神はサタンを「敵」とは思召さないが、サタンの方が「神を敵視している」のである。
c0032696_14283710.jpg

# by ecdysis | 2019-02-09 14:29 | スピリチュアル | Trackback | Comments(0)

 なぜ、いまさら祖母の狂気を思い返すかというと、実は若い頃から、ときおり狂気の小さな衝動が起きる。それはつねに妄想であって現実には起こさないが、自分で思い浮かべて自分でぞっとする加害妄想で原因がわからなかった。私は酒をやめて15年たったが、今でも以下のような妄想が瞬間的にわいてぞっとすることがある。
 もしそれらの妄想のひとつでも実行していたら、いまこうしていられるはずはない。実際に行使したことはまったくない。
 自分の中で時々起こる、こうした自分の意志に反する突発的な衝動性の小さな狂った妄想を列記する。

・電車のホームで人を突き落とす。あるいは自分が電車に飛び込む。
・冷たいものや熱いものを人の素肌に押しつける。
・幼児や乳児を逆さづりにして振り回す。
・通りすがりの異性に痴漢行為を働く。
・刃物で自分を傷つけるか他人を傷つける。
・マンションのベランダから通行人のいる地上へものを投げ落とす。
 
 いずれも犯罪で、狂った行動だ。なぜこのような自分でも忌まわしい妄想が起こるのか、身震いしながら長い間謎だった。
 しかし、この狂気は、一種のフラッシュバックではないかと思い当たる。気も狂いそうな恐怖と衝撃を私は幼少年期に幾度か味わった。そのトラウマは深刻だったし、いまだにすべてが癒えたとは言えない。気の狂った祖母と住んでいたのだから、狂った心があってもおかしくはないが、恐ろしすぎる。
 だからこそ、そのときの気も狂わんばかりの子供の意識が、私の心に作用して何事かを伝えようとしているのだと思える。

 おそらく、うわ~と泣いて言葉にならない恐れと苦痛と絶望と嘆きの叫びをあげているのだろう。
 私は、それを聞いて、そこにいるということを見つめる。否認は決してしないし、あってはいけないとも、いてはいけないとも決して想わない。
 私は気も狂いそうに怖かったときの自分を思い返し、その涙と苦痛と叫びをあるがままに受け入れる。おそらく、その必死な狂気の声が残って響き続けているのだと想うが、それも自分であると認めて生きていくのはもちろんだ。
 私と、その子供は同じ素材、たとえばひとつのお餅の上に生じた大小ふたつのふくらみのようなものだ。だから、両者が手をつないで歩いたとしても、それは親子でも兄弟姉妹でもない。私は、その幼子の分身であるし、その子は私の分身なのだ。私は、彼であり、彼は私なのだ。だから、自分の内なる子供に対して、今の自分が親になれないというのは当然のことで、親子以上の関係性を有しているというのが正しい。

 いまあげた私の狂気の妄想は、ひとつひとつが、祖母の母をひどい目に遭わせたいという虐待者の悪意が現れたものだとすると、関連性があることがわかる。自分か他者を傷つけるという妄想も、のちに祖母が自殺したことを考え合わせると、やはり祖母の影響があるのだと思える。

 これらは、「祖母への恐怖」という一語で総括されそうだ。幼児期の私が迫害者である祖母、虐待者である母の二重の攻勢を受けながら、だれにも助けを呼べずにいた苦しみと、「だれか助けて!」と叫びたかった心が、異常な狂気のような妄想の形で現わされているのだ。

 その「恐怖」の病は、祖父に虐待された祖母と、姑である祖母に虐待された母と、母から虐待され。また父からも直接間接に肉体的精神的な虐待を受けた私という世代連鎖をなしている。

「恐怖」を動機とする行動は、かえって悪い事態を招くという事実を学んではいるが、心をひりつかせるトラウマによる「恐怖」の火は、まだ私の中で消え去ってはいない。その「恐れの火」を吹き消さねばならないのだ。

c0032696_00464804.png


# by ecdysis | 2019-02-09 00:54 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

 私のこの病というべき恐怖の根源の大きなひとつには、凶暴な精神障害者だった祖母とのかかわりにあったことは間違いない。
 妄想性の過敏さをともなう人格障害者だった祖母は、アル中の夫である祖父と嫁である母への憎悪と被害妄想に満ち溢れていた。日常的に粗暴で気の狂った言動で、私や弟妹や母を常に怯えさせてきた存在だった。

 しかし、私が成人するまで長年にわたって家族であった祖母から、自分の予想をはるかに超える深刻な悪影響があったのではないかと気づきはじめた。無自覚のうちに、彼女の「病的な心」を受け取ってしまったのではないかと、最近、とても気になっている。
 自分が恐れて憎み嫌った家族から、その家族のネガティブな言動を、知らずにとりこんでコピーしてしまう現象が起こっていたようだ。まるで病原性ウィルスのような「精神的感染」現象が起こるということに気づいた。

 親が依存症でACになり、やがて同じ依存症を発症した子供たちは、最初は「親のようにはなりたくない」とだれもが思っていたはずだ。ところが、そのように意志するものの、実際には親と同じような大人になってしまう。
 意志だけでは親と同じになることを避けることはできない。私もそれを思い知った。

 祖母の精神状態がいかであったかは、私自身が18歳のころにまったく同じ精神に異常をきたしたのでよくわかるし、それゆえに一時は殺害を決意するほど憎んだ祖母を許すこともできた。その経緯はすでに、このブログでも記した。
 しかし、許す許さないの次元とは別に、彼女と同じ屋根の下で暮らすことによって受け取ってしまった悪影響の吟味は、この三十年間してこなかった。それを分析し、しっかり表現する時期がきたのかもしれない。

 ふりかえれば、幼稚園時代にいじめられていた恐怖が、人生最初の恐怖体験として大きく映るが、実はすでに三~四歳のころ、かなり強いストレスを感じていたことが、想い起こされる。
 当時の一枚の写真がある。母の膝の上に抱かれてミルキーの箱を片手につかみ、父と三人で撮った写真があるが、母に抱かれた私は泣きべそをかくような顔をして、まったく幸せそうではない。
 おそらく妹が生まれてまもなくで、「ちゃんとしたおにいちゃんになりなさい」という、母の私への支配的子育てが開始されてまもなくだ。
 母の前に正座させられ、「これからは、かあちゃんのことを、かあちゃんではなく、おかあさんと呼びなさい」と一方的に慣れ親しんだ母の呼び名の廃止宣告されたころだ。困惑し母親に素直に甘えることができなくなったと感じたできごとだった。 
 その一方的な宣告には三歳時の私は大いに不満で怒りを覚えているし、手足をばたつかせて叫びだしたい気持ちになっている。ひとことでいうと「ふざけるな」という怒りだったと思う。

 また、被害妄想の強い人格障害だった祖母への恐れも、私に伝染していったようだ。祖母は、同居する若い息子夫婦の稼いだ金銭を搾取していて、どんなささやかな贅沢も楽しみも許さなかった。
そのため、母から以前、聞かされたが、2歳のころの私に、お菓子を買ってあげるのも、祖父母の目を盗むように気をつかって、私にこっそりとくれたのだという。祖母にそれを知られると無駄金を使ったと叱られるので、母は私に「いいかい、お菓子をもらったって、だれにもないしょにするんだよ」と、私に命じたのだという。
 しかし、子供の私には母のいうことが理解できなかったらしく、お菓子をもらってうれしかったのか、翌日、祖母のいる前で「かあちゃん、きのうお菓子をもらって食べなかったもんね~」とあどけなく告げて、母をあわてさせ祖母を怒らせたという。

 同じように、3歳ぐらいのとき、祖父に庭先のものかげに呼ばれ、「さあ、はやくこれを吸って食え」と卵の先端につまようじの先大の穴をあけた一個の鶏卵を差し出された。
 半世紀前の東北の片田舎では、卵は、牛乳・バナナなども同じだが、今では想像もつかないほど貴重な食品だった。なにしろ、農家が鶏を飼って生んだ卵を、一個単位で納入してその代金を農協の個人の預金通帳に積み立てる「たまご貯金」という名目の口座が当たり前だった時代のことだ。もちろん、私の生家でも鶏卵は現金収入の手段のひとつだったらしく、祖母が卵を自家消費することを嫌って目を光らせていた。当時は乳牛も飼っており、生乳の缶を集荷所に持っていく父たちの姿をおぼろげに覚えている。
 刺激すると面倒な祖母の目を盗んで、祖父が孫かわいさに、卵をこっそり一個失敬して、食べさせてくれたのだ。
 そのとき、祖父も私にこういって卵を渡した。
「早く食え、ばあちゃんにみつかんないようにな。卵もらったっていっちゃだめだぞ」と、また幼児に口止めである。
 家族として当然の愛情表現の食べ物をもらって、なぜ口止めされねばならないのか。なぜ、素直にありがとうといわせてくれなかったのかと、今の私なら抗議するところだ。

 この時点で、すでに両親も祖父も、祖母の人格障害に巻き込まれて、私もその病理に巻き込まれて、人からものをもらうことや、してもらうことに、素直に感謝できず、罪悪感や秘密のもどかしさをともなうようになっていたのだと思う。
 そのとき、祖父からもらった卵の黄身の甘さは、いまだに記憶に残っている。おいしい卵だった。
 このように、家族全員から恐れられた祖母を、私も妹も、のちには弟も恐れるようになった。その恐れは、恨みになり、憎しみにもなった。

 祖母には、以下のような病気の言動があった。
 まず猜疑心。たとえば身の回りものがなくなると、根拠もなく家族のだれかがとって隠したことを疑う。また、わざとなくしたふりをして、母にいいがかりをつけることもたびたびあった。
 罪のないもの、正しいものを、ひきずり落とし、無傷のものを傷つけたいサディズム。清らかなもの美しいものを、その清さと美しさのゆえに憎み呪う。自分が持てないと思ったものを持っていると感じた相手を激しく嫉妬して憎む。
 自分は不当に嫌われており、家族がいつも自分について陰口をいっているという妄想を持っていた。

 他人の悪意や反感には極度に敏感で、即座に暴言を吐いて罵り、ひどい場合は暴力をふるったり唾を吐きかけたりした。
 家族以外の赤の他人への外面だけは非常によかった。列車や旅館でゆきずりに出会う人たちには、家の中では想像もできないほどの快活な善人を演じる。その出会った人たちがみな、「こんなおばあさんなら、うちにもいてほしい」というほど、陽気で愉快で人のいいお婆さんに変身する。しかし、家に戻ったり、身内になったり、入院先で同室になったりした人たちには、気の狂った鬼婆である。

 おそらく本人も原因がわからなかったと思うが、いつも不機嫌でいつも怒りっぽく、手負いの獣のようだった。私たち家族は、本当に腫物にさわるように恐れながら暮らしていた。祖母が温泉に宿泊湯治にいったり旅行にいって家をあけるときは、本当にほっとしたものだ。
 もちろん、祖母が戻ると、彼女はすぐに自分がいない間に、家族が自分の悪口をいって自分をのけものにして楽しいことをしたのではと、疑惑の探索をはじめるので、祖母が帰宅すると家じゅうが緊張していた。

 うつ病も持っていたらしく、入浴することが少なく臭かった。母が嫁にくるずっと前に肋膜炎の大手術をしたが、それは夫である祖父が酔って自分を蹴飛ばしたからだと何度も被害者であることを訴えていた。私が高校生になって祖母に反抗して突き飛ばすと「孫にまでいじめられる」と自己憐憫の涙を流すこともあり、深刻な病的自己憐憫の持ち主だった。

 これらの祖母と同様の行為、もしくは精神態度や妄想を私も受け継いでいるのではないかと気になる。実際に小学校五年のときに、人を疑う私の悪い癖を、母方の祖母に指摘されていたほどだ。

 もちろん、そんな祖母を恐怖しながら冷や汗をかきながら仕えていた母の恐怖をも、私は受け取り、そんな母のストレスのはけ口のように、私自身が母から虐待された。だから、私は祖母と母の二世代の狂気とストレスをまともに受け取って育ったのだ。
 その逃げ場のない「恐怖の家」を、なんの心の麻痺も逃避も依存もなしに生き延びることは不可能だった。

 そういう環境で、まずアルコールが苦手だった母が、飲酒による快感への逃避を覚え、私が中学校2年のときには、キッチンドリンカーになっていた。私や弟が同様になることも不可避だった。
 こうした環境下で、アルコール依存症になり、引きこもり・うつ病・被害妄想・誇大妄想・パニック障害・対人恐怖・女性依存・抜毛症など、一通りの症状を経験してきた。

c0032696_00463205.png


# by ecdysis | 2019-02-09 00:47 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

 母親からの虐待や祖母・祖父への恐怖や幼稚園でのいじめで、小学校低学年のころまでの私にとって、世界は恐怖そのものだった。出口のないお化け屋敷にいるようなもので、すでに幼児性の抑うつを発症していたとわかる。

 そんな中で、私が安心してかかわれる相手は、3歳下の妹だけだった。妹という自分より弱い相手とかかわるときのみ、安心できるという人間関係の構図が、すでにそのときつくられたのだとわかる。

 六歳のとき、父母と妹と四人で県内の港町に引っ越しアパート暮らしをはじめた。父は首都圏に出稼ぎにでかけて、母子で三人暮らしだった。そのころ、兄だからという理由で、妹の面倒をみるよう言われて、母が私たち兄妹だけを残してひとりで買い物にでかけて、私はひどい孤立感を味わった。あのときは母が帰ってくるのを待ちかねて、妹の手をひいて母をさがして外に出て、迷子になって大泣きした。近所の見知らぬおじさんおばさんに助けられて、あとで母に引き合わせてくれたからよかったものの、幼い子供二人をおいてひとりで買い物へいくかねと、今の私なら当時の母に文句をいいたいところである。その後、やはり子供時代に妹と二人で孤立感を味わう場面があり、私は自分が寂しいときに、自分が面倒をみるべき弱い立場の相手と一緒にいるというシチュエーションに適応してしまったのだろう。

 こうした自分の「自分より弱いものへの傾倒」は、大人になると「自分より弱いものに引きつけられる」というACの特徴となって現れるのを自覚した。脳内に、トラウマと恐怖と有力感の回路ができてしまったのだ。

 私は、病的な女性とばかりかかわってきたと何度か書いてきたが、それもそのはずで、すでにアルコール依存を発症するほどのACである私が、「安心できる自分より弱い相手」を選ぶとすれば、それは「自分よりも重症のACの女性」しかいないではないか。
 すなわち、私の異性関係の基本は、この「自分より弱い相手に安心を感じる」という感覚そのものに問題があると見えてきた。
 これは、別の言い方をすれば「自分の方が優位である場合に安心感を覚える」という「相手への有力感」にほかならない。つまり、「相手への有力感」と「安心感」がイコールで結ばれているのは、不健康なことなのだとわかる。

 なぜなら、本当の安心感は、自他の比較の必要はなく、自分が無力で弱くても大丈夫であるという、他に自分を全面的にゆだねている気持を基本とするからだ。
「自分の方が優位でなければ安心できない」というのは、本当の安心感ではない。それは条件付きの安心感であるがために、決して身も心もリラックスできる安心感には至れない。
 大切なのは「自他の優劣」という比較競争ではなく、「自他の平等対等」という家族内で体験すべきだった健康な関係性なのだ。
 私はアルコール依存の自助団体に通い、そこの人々とつきあいを続けることで、「対等な人間関係」を初めて実感するようになった。

 自分より弱いものに安心を感じるということは、逆に自分と対等か優れた相手には、恐れと不安を感じるということだ。それが、対等か自分より優れた相手への嫉妬や非難や中傷や攻撃などに変形された悪意として発現する。しかし、その場合、わたしもそうだが、恐怖を感じる相手への恐怖を自覚することはほとんどない。ただ、恐怖は、その相手への過敏な非難や嫉妬やネガティブな評価という感情で現れる。しかも、その非難・嫉妬・否定的評価が、内なる子供の恐怖が変形して現れているという自覚もほとんどない。

 さらに、その内なる子供の恐怖は、あくまで主観によるもので、客観的に恐怖すべきものかどうかは問題ではない。内なる子供が「こわい。いじめられる。痛めつけられる」という脅威を感じたら、もうそこで恐怖による感情行動が発動してしまう。

 深刻な恐怖に打ちのめされた子供の私は、「自分より劣ったもの相手なら安心である」という体験によって、自分から見て自分の方が優れていると思う相手ばかりを友人に選んだ。一時期、近所の友達が全員女子だったこともあるほどだ。

 その一方で自分が有力になっていく方法を探した。自分が有力になれば、その分、自分より劣った相手の数が増える。それは、自分にとっての安全圏の拡大を意味し、安全圏の拡大は恐怖を遠ざけることになる。

 相手より優位に立つ方法は、私の場合は学校の成績をよくすることだった。恐怖から逃れるために、学校の図書室で貸し出す本の読書を好んだ。その結果、知識が増えて、ほかの児童生徒より理科や社会のテストの結果がよくなり、有力感が増したため授業でも積極的に手を上げるようになり、教諭の覚えもめでたくなり、私の学校での安全圏拡大はひとまずうまくいったけれど、家に帰れば相変わらず、そこは恐怖と脅えに支配された場所でしかなかった。むしろ、学校で安全圏が拡大するのと反比例して、家庭の状況は悪化していった。

 いわゆる「家ではいい子、学校では優等生であること」が唯一の保身だった。しかし、高校が進学校だったため、私はもはや優等生ではいられなくなった。私を支える「安全圏」が消失した。私は、もはや自分には価値がないと感じ、ひどい劣等感にさいなまれ、優等生であることで否認してきた自分の生い立ちのひどさを見ざるをえなくなり、16歳のときにフラッシュバックが起こって精神的に壊滅状態になった。その先にアルコールが手をのばせばすぐそこにあり、母と同じく生きる苦しみを泥酔することによってまぎらわせ麻痺させることを覚えた。

 私の短気ないらだちや怒りっぽさや妬み深さも、「恐怖」が関与している。アルコール依存症の症状であると同時に、それは同じ病気だった祖父の心であり、粗暴で理不尽な言動を重ねた人格障害の祖母の心でもあったと気づく。
 これは、とても生きづらく苦しい感情生活だ。ささいな他人の言動に責めと裁きの憤りを発し、自分よりすぐれた言動や業績をあげている人間を見ると、むらむらと妬みの心が湧いて不愉快になる。心の狭さというものは、他人を不愉快にさせるのはもちろん、本人にとっても苦しみでしかない。心の狭い人は、その心の狭さによって本人がいちばん苦しんでいるのだ。

 釈迦やキリストの教えや神道・儒教の学びをする一方で、こうした幼児的で病的な感情に苦しめられる。これは、私が祖父母におびえ恐れ苦しめられた生い立ちのうちに、彼らから刷り込まれ、また無自覚のうちに学んで習得してきたことだとわかる。

 つまり、私は心の病み方も傷つき方も、心の狂い方も、祖父母から学んだということだ。

 その学んだ心の病み方の根底にあるのは、「恐れ」だ。屈辱を受けること、排斥されること、孤立させられること、笑い物になること、挽回しようのないどん底の恥のただ中に置かれること、責めと裁きに追いつめられること。それらを何よりも恐れていたことがわかる。
 それらの「恐れ」は、実はアルコール依存症の祖父が、酔って自分の住む村落と近隣の人々に迷惑をかけた結果、こうむった非難と蔑視の経験のはずである。根拠も理由もなく、責めや裁きを健康な人々が下すことはない。

 祖父がアルコール依存症になったのは、親である曾祖父が酔って日本刀をふりまわす酒乱だったことにある。その幼児期の救いようのない強烈な恐怖のトラウマ体験があったからだと推測できる。自分の生存が極度に脅かされるという恐怖の体験がトラウマとなり、そこからアルコール依存症や、十五歳ごろから売春宿に入り浸るなど性依存症に陥ったと考えられる。アルコール依存のあげく三十三歳で死んだ私の弟も、父親を極度に恐れ憎んだまま死んでいった。
 祖父も、トラウマと依存症が発症して進行するプロセスで祖母と結婚し、五人の子を育てなければならなかったのだから、そのストレスは筆舌に尽くしがたかっただろう。

 人間として非常に不健康な人格形成をおこない、心の病気を発症している祖父のような男が、ちゃんとした家庭を営むのは無理だ。あるいは、私の父親は明らかな発達障害なので、祖父もそうだったのかもしれない。

 ゆえに、私の怒りや妬みの問題は、実は私自身のみならず、親や祖父母たちにもあった問題であるとみなせる。
 人は対等な会話においてこそ孤独を癒す。対等でない支配・被支配の関係は孤独しか生まない。アルコール依存症による典型的な症状である自我肥大は、孤独感・孤立感を産んで、ひとつもいいことはない。加えて、特有の「わたしは正しい、みんな従え」という気持ちも救いようのない孤独を生む。曾祖父も祖父も父も母も弟も私も叔父叔母も、全員がその「酔いの孤独感」に打ちのめされて死んでいったのだ。

c0032696_00324004.jpg


# by ecdysis | 2019-02-09 00:32 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

渇愛はACの自分の源

 渇愛という欲愛は、前世からひきずる足枷の鎖玉のようなもので、まさに煩悩具足の凡夫たる私自身の正直な姿です。
 生まれてから、この鎖玉をはずしたことが一度もありません。五官に感じる名前と形のあるものに強く依存し、渇愛の奴隷として生きるのが当たり前だったので、解放奴隷の自由人になれたことも一度もないのです。

 私は、解放されたい。カルマの煩悩から、渇愛の奴隷状態から解放されたい。

 必要だったのは安心できる安全な時と場でした。今の私には、その場があるし作り得ます。座禅によって、神社と神棚への礼拝奏上によって、安心安全な自分の居場所を確認できます。内省がそれを可能にしました。

 そうなりはじめてから今にいたるまで、十数年かかっています。それでもまだ穢れを愛し求め、穢れを楽しみ欲望する自分がいます。卑猥で幼稚で卑怯かつ盲目な欲情にすがりついている自分です。それが「渇愛」というものであることを、最近学んだばかりです。

 渇愛と知らずに依存していた。そうせずには生きのびられないほど、過酷な家庭環境でした。家庭や職場や恋愛や知人関係など、現実の人間関係の与えるストレスが過重でした。
 その過重さを緩和しリラックスさせる息抜きやストレス解消の手段が酒や自慰などへの依存でした。恋愛感情への依存は、過重な責任や仕事でふんばるためのものでした。自分で自分を励まし、義務と責任をまっとうさせる励みだったのです。
 祈りと座禅を両立させるまでは、日々のストレス解消の手段は、依存のほかにはありませんでした。

 神道の教えと、座禅と仏教の素晴らしさを知らずに生きていた時代の苦しみたるや筆舌につくしがたい。アダルトチャイルドということばだけで到底くくれるものではありません。

 とにかく、渇愛を自覚できず、苦を苦と認識できませんでた。苦のもとを苦のもとと自覚できず、安楽や快感のもとだと思いこんでいました。だから、「一切が皆、苦である」という法印が理解しにくかったのです。そのときは、快楽で愉悦であっても、時間がたてば同じ楽しみが二度と来ないことを知り、求めても得られず戻ってこないことを思い知る苦しみになります。これを「壊苦(えく)」というそうです。

 しかし、自分と他者、あるいは他者どうしの間での出来事の多くは、苦しみや悲しみに終わることが多いです。貪り、怒り、高慢、愚かさに加え、恐れ、憂い、嘆き、悩み、妬みのともなわない人間関係を、人はどれだけ持ち得るでしょうか。
 もちろん、喜びや楽しみの多い関係もあります。しかし、それも毎回、いつでもというわけにはいきません。楽しい思い出という記憶にはめぐまれても、必ず互いの老・病・死の苦痛と悲しみがやってきます。

 ストレスが強まると、何かとみだらなものでまぎらわせようという想いがわき、パソコンの淫猥なサイトの画像を見てしまいます。すれちがう女性たちに押さえつけている欲情の炭火が熾きます。煩悩の焔と簡単に表現して済むものではないのです。
 これが、私が穢れを欲し穢れを愛している証拠です。欲愛の炭火が燃えています。それを消火しなければ霊的平安はありません。涅槃(「ニルヴァーナ」)とは「吹き消す」という原義だそうです。煩悩の火を消してしまい灰にしてしまうのが涅槃なる悟りの境地なのでしょう。

 雑念妄念は、盲目の欲望たる渇愛より起こります。ものごとに集中しているとき以外、雑念と妄念は絶えず起こります。しかし、雑念は善でも悪でもありません。生きていれば必ずあるものなので、それを裁いたり自己嫌悪したり否認したりは意味がありません。それは、大小便の排泄欲求と同じようなものです。頭でいくら否定しても、あるものはあるし排泄しない限り楽にはならないのといっしょです。善悪や理非曲直などの価値観・判断の対象ではありません。

 雑念妄念やとらわれは、自分の心に関する無知、すなわち無明によるといえますが、無明とは、言い換えれば「闇」「盲目」ということです。盲目で生きていれば、手をひいて導いてくれる人や杖を信じなければ怖くて一歩も歩めません。聖人賢哲こそ、盲目な私の導き手であり、その知恵の言葉が糧です。

 私も人も、みな現在の姿は、いくつもの過去世で経験してきたことと、現世の過去との集大成であると思うようになりました。長所も短所も善も悪も努力も怠惰も今の自分は、現世だけが原因ではないと。何回もの前世のすべての集大成が今の自分なのだから、なりたくてなった姿でもあるし、なりたいと思わずとも、なってしまった姿でもあります。
 いくつもの過去世の人生で体験した愛憎も好悪も快苦も悲喜も努力も挫折も憧れも失意も有頂天も落胆も、すべての生活経験と情緒的経験の集大成が、今の自分なのだと思えば受け入れざるをえません。釈尊の教えに従えば、そういうことになります。

c0032696_01471810.jpg
ガンジス河



# by ecdysis | 2019-02-04 02:03 | スピリチュアル | Trackback | Comments(0)

 お釈迦様は、原始仏典『スッタニパータ』(集成経)の中で、まったき平安の境地である涅槃(ニルヴァーナ)に至るには、「快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ること」をせねばならないと説いています(学生ヘーマカの質問1086節)。

 しかし、これがとても難しい。私は、そもそも「出口も終わりもないお化け屋敷」同然の恐怖の家に育たざるをえませんでした。私のような人間には、「快美な事物」に逃避することでしか生き延びてこられなかったのですから、それを手放すのは恐ろしい難関です。

 ACとアルコール依存と精神障害の家族の中で育った私は、「無明」と「渇愛」という言葉も知らず、自覚もせずに育ちました。そんな私には、欲望しか喜ぶものがありませんでした。情欲しか快楽を感じるものがなかったのです。生い立ちのひどい家庭の中で、喜びといえるようなものは、好奇心を満たす知識や情報、小説やマンガやアニメ以外には、情緒的に貧しい欲望とその快楽しかありませんでした。卑しくとも醜くてもみっともなくても、それしかなかったのです。

 田舎の知り合いの高齢の人の思い出話の中には、家がとても貧しくて子供のころにおやつもお小遣いもなかったので、おなかがすくと台所の親の酒をおやつがわりに飲んで酔っ払っていたというのがありましたが、それと同じぐらい痛々しい話です。

 欲望が強まると、時と場所を問わずに、過去に女性とまじわった時の、みだらで恥ずかしい、汚ない妄想がわきます。これは、欲望が穢れを求める気持ちになって現れているからです。すなわち、欲望とは、穢れを生み穢れを愛する穢れの親、穢れを好み穢れに親しむ、穢れの兄弟です。

 私は、この57年間を渇愛の奴隷として生きてきたのに気づきませんでした。渇愛の特徴である「欲望を感じることを喜び気に入っていた」からですし、「欲望は感じてあたりまえ」と思っていたからです。情欲についても、欲望と欲求を感じて満たそうとするのは当たり前と思っていました。だから、欲望こそが人生の苦の原因で、人をつらくかなしい人生へ輪廻転生させる原因だと教えられて愕然としています。

 貪りとその対象を愛する、欲望とその満足を愛するという以外の「生きがい」を見出せるかどうか。愛着してきた欲望を「もういらない」と手放せるかどうか。それがアルコールであれ、薬物であれ、ギャンブルや万引きやセックスであれ、「快美な事物」に依存することなく生きられるかどうかが今後の鍵です。

 これまでは「とにかく死なずに生き延びる」ための自己流・我流の恐怖からの回避術・逃避術を用いてきた生き方でした。生きられるかどうかの判断基準は、「自分にとって快感かどうか」だけでした。自分が生きていられるかどうかの目安は、快感があるかどうかだけでした。肉体や自我の快楽は善であり、喜びであり、生きていていいというサインであり、愛されているという証であり、安全であるという目印でした。

 しかし、現実には必ずしも、その我流の快感リトマス紙は的確ではありませんでした。むしろ、はじめは快楽なのに、次第に有害な依存に変じた飲酒の習慣のように、「有害な快楽」もたくさんあって、相当に痛めつけられましたし、自分で自分を痛めつけて来ました。
 これからは、「健全に生きのびる」ための方法を身につけなくてはなりません。

 私は、渇愛を下着のように、いつも肌につけて、なくてはならぬもののように生きてきたようです。何枚もの欲望という名の下着をはきかえて、くりかえし着用してきたのです。しかし、古今の聖人賢者たちと釈迦の教えによって、それに気づいてしまった以上、その何百何千枚という汚れたままの下着を、少しずつでも時間をかけて捨てねばならないようです。

「わたしたちは皆、汚れた者となり 正しい業もすべて汚れた着物のようになった」(旧約聖書 イザヤ書 64章5節)
(「汚れた」とは「悪臭ふんぷんたるまでに汚れ切った」ということ。「正しい業[わざ]」とは「正しいと信じ込んでなしてきた所業」のこと。「着物」は下着や肌着のこと)

 健全な生き方とはどういうことか、どうすれば正常に生きられるのかということについて、私は無知のまま生きてきました。
 その「生き方の無知」から自分を脱出させ、新しい清潔な下着をつける方法のひとつに、八正道・中道というものがあることを教えられました。どのようにするかは試行錯誤が続きますが、禅定によって祈りによって、さまざまな聖賢の教えによって、一枚一枚を履き替えながら生きていこうと思います。

 そのためには、死ぬまで、いえ死んだ後まで時間がかかるでしょうけれど、それは仕方のないことです。
 新しい生き方は、夜があけて朝を迎えるような目覚ましいもののようには感じられませんが、いつか気づいたら変わっていたというような認識しか、たぶん訪れないと思います。それでも、意識だけはしておきましょう。

 儒教の『大学』第二章三節にも、古代中国の祭祀用の水盤に次のような言葉が鋳込まれていたとあります。

「まことに日に新たに、日々に新たに、また日に新たなれ」
(現代語:いったんまったく新しくなったなら、その日から、毎日新しく、たえず毎日新しく生きよ)

 イエスの言葉にも『ヨハネによる福音書』(第3章3節)にこうあります。
「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」
(この「はっきり言っておく」は原語では「アーメン」。「誓って嘘いつわりなく宣言する」の意味)

 渇愛が、苦の人生・生まれ変わりの人生という「家」をつくる大工であり材料だと釈迦はいいます。その渇愛を自覚したとき、初めて人は「苦の家」をつくる者を見つけ、その家の柱や壁や材木をこわすことができると。もう、そんな「苦の家」に住む必要がなくなります。つまり、もう苦しみと試練に満ちたこの現世に生まれることがなくなるというのです。それが「解脱」「悟り」だといいます。

 私にとっては「悟り」=「神の国」という認識なので、キリスト教と仏教は「同じものを目指している」と信じています。

c0032696_02194095.jpg

# by ecdysis | 2019-01-28 02:28 | Trackback | Comments(0)

 渇愛について、重複になりますが、非常に重要だと考えますので、再度、よりくわしく書いておきたいと思います。
 釈迦の話した原初の説法に近いといわれる経典は、古代インドのパーリ語で書かれたものだといいます。いわゆる南伝または上座部(テーラワーダ)あるいは小乗と呼ばれる流れの仏教の経典です。その中に「渇愛」とその解決法について釈迦が詳しく説いたくだりの経典があります。

 仏教では「初転法輪経(しょてんぽうりんきょう)」と呼ばれ、初転法輪とは、悟りを開いて最初に五人の弟子に説法し教えた内容のことです。
 釈迦の説法による「森羅万象の普遍の法」の開示は、法輪と呼ばれます。釈迦の法は、あたかも天界の王・帝釈天の乗る車の車輪のように、教えの車が他の土地の人々に走り転がって広がり、あるいは弟子や子孫に転がって教えを轍のように残して伝わるとしたものです。

 ちなみに、釈迦が悟りを開いた菩提樹の場所と、初説法しようと決めたかつての同行者たる五人の修行者たちとの間は250キロも離れていたといいます(『仏教百話』増谷文雄/ちくま文庫より)。現代の日本にあてはめると、東京から出たとして、西は浜松、北は福島あたりまでの距離です。現在のような通信手段のない時代に、釈迦がどうやって五人の居場所を知ったか、霊覚としかいいようがありませんが、とにかく250キロをてくてく歩いてお釈迦様が悟りの初の教えを授けにおもむかれたというのは、まことに感動的です。

 この釈迦の最初の説法を、法輪を初めて転がしたという意味で「初転法輪」と名付けています。
 その中に「渇愛」が「苦」の原因であると最初から説かれています。その「渇愛」(「愛欲」や「妄執」と訳すものもあります)は、次の意味と特徴を持つといいます。

「渇愛」は、パーリ語で「タンハー」といいますが、これは「渇き」「満たされない」「欲しがる」の原義を持つ言葉だそうです。欲求・欲望・要求・充足への願望をかねた言葉だそうです。

 すなわち、自分が欲望・欲求・願望を持つことを、あたかも渇いたものが水を欲しがるように愛してやまないから「渇愛」と表現しているのです。「渇きの状態を愛している」「欲望のある状態を好んでいる」ということのようです。私なりには「無自覚な強欲」と名付けたいところです。私は「渇愛の奴隷」であることが見えてきました。外見はいかであれ、みな各自の我欲(渇愛)と霊的・求道的な事柄についての無知(無明)の奴隷なのでしょう、

 自分中心の欲望・願望・要求は、渇愛ですが、それには三つの特徴があるといいます。
 ひとつは、渇きを愛するという状態は、欲望・欲求・願望が、水面に湧く泡のように、次々と個人の心にいくつも新しく生まれ、またくりかえしくりかえし起こって終わりがないということです。あれがほしい、これがほしい、ああなりたい、こうなりたい、こうしたい、ああしたい、こうであればいい、自分の思うとおりにしたい・・・などなどの想いは、すべて「渇愛」です。文字通り、渇きは水を飲めばいったんは収まりますが、また時間がたてば渇きがやってきます。渇きは毎日やってきて、しかも生きている限りとぎれることがありませんし飽きることもありません。そんな渇きと水を愛してやまないように、繰り返される欲望を愛してやまず飽きないのが渇愛の特徴です。

 二つには、欲望・欲求・願望を満たすことに喜びと快楽を覚え、足るを知らないことも渇愛です。さかのぼれば、欲望・欲求・願望を抱き感じる状態そのものに、喜びを覚え楽しみ愛していることになります。欲望を感じて、それが満たされない状態は、もともと苦しいことのはずです。それなのに、その苦しみは、欲望が満たされたときに味わうだろう喜びの予想と期待で麻痺させられてしまいます。そして、「どうしてもほしい」「こうであるべきだ」「なんとしても想う通りにしたい」という執着に変わってゆきます。アルコールや薬物やギャンブルなどの依存症は、まさにこの渇愛の特徴が病的に強化されて発現していると言えます。

 三つ目は、自分の欲望・欲求・願望の質と量に関係なく、それを喜び、そのひとつひとつを気に入り、自分にとって大事であると信じるのが渇愛です。また、そのような、快楽を求める自分を喜ばしい大切なものと思っています。
 つまり、人は苦の原因とも知らずに、自分の渇愛を喜び気に入り、楽しみ快楽を覚えて、限りなくさまざまな欲望・欲求・願望を抱き続け、生みだしながら生きていることになります。

 この渇愛は、また以下の三つの欲望として、それぞれに、あるいは三つ同時に、日常的に絶え間なく切り目なく現れます。
 ひとつは、五感の欲です。眼耳鼻舌身の欲です。自分の見るもの聞くもの嗅ぐもの味わうもの触るものにおいて、刺激を受け続け、快楽を覚え続けたいという欲求です。

 これは、直接に肉体に関することだけではありません。いい衣食住を手に入れたい、名誉名声を得たいなども、これらの欲求に含まれます。なぜなら、名誉欲・名声欲には、人々の羨み賞賛する顔を見たいという眼の欲、人々の賞賛する声を聞きたいという耳の欲がともなうからです。また、仏教では人に共通の欲望を「五欲」(食欲・性欲・金銭欲・名誉欲・睡眠欲)としていますが、それもふくまれます。この「五欲」は生きて家庭や社会を維持するのに不可欠ですが、適切な程度を超えると人を病ませるものとなります。

 ふたつめは、生存欲。生きたいという欲。自分の生きやすい都合のいい条件を獲得したいという欲です。「自分さえ生きられればよい」「自分さえよければよい」という欲。

 みっつめは、破壊欲と訳されていますが、私は排除欲・排他欲とみなすのがよいのではないかと思います。
 自分の生存を脅かすものは排除して滅ぼしたい欲。転じて、嫌いなものや厭なものを排斥して無いものにしたい欲。自分の思うとおりにならない人や事や物を消してしまいたい欲。この欲が強まって自分に向けられると自殺になるといいます。都合の悪いことは無かったことにしたい否認・否定の欲望です。

 私の場合、情欲を、渇愛の現れと認識し、格闘しています。格闘して情欲そのものを喜ぶ自分を自覚し、一時的にでも退けると、そのときだけですが、そこから名状しがたい深い悲しみのもやのようなものが、自分の中に沸き起こってきました。
 私の渇愛の向こう、渇愛の層の下には悲しみがあると気づきました。何か魂の悲しみのような、静かだが確かに深くきりのない悲哀が湧いてくるのです。

c0032696_02192776.jpg



# by ecdysis | 2019-01-28 02:20 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

 生きる上での苦しみを「煩悩」といいますが、これは釈迦の教えでは「無明」と「渇愛(愛欲/渇望ともいう)」の二大原因によるといいます。
「無明」とは、道徳・倫理・神仏・聖なる原理への無知・無自覚・無視のまま生きる状態です。「渇愛」は、欲望・愛欲・執着・むさぼり・偏愛を持つこととそれを疑うこともなく楽しみ期待する生き方です。

 この二つの煩悩の素を野放しにしている状態を、仏教では「放逸」といい、「修行を怠り怠けること」をも意味します。 
 この「無明」と「渇愛」は、人として生きる上でだれもが避けられない大変な問題であり、放置すれば、あらゆる人間が心身を病んで狂ってしまうとわかります。逆に「無明」と「渇愛」をなくせば、あらゆる人間が悟りを得られるといいます。釈尊(お釈迦様を尊んでいう言い方)の言葉を学んでいくと、そういうことになるようです。

 これを自分と、生まれた家庭にあてはめてみましょう。私の生家は、道徳的・倫理的・情緒的に無惨で惑乱したものでした。私が、ひどいACになったのも、各家族の「無明」と「渇愛」がまったく自覚もされず、野放しにされて、正しく修正されることがなかったからだと分かります。

 特に「渇愛」の問題は、非常に大きいものがあります。

「渇愛(タンハー)」とは「愛着と愛執の対象に激しく渇く」という意味で、「刺激に渇く」ともいえるでしょう。欲望と貪りの根源です。サンスクリット原語では「願い・欲望」の意味もあるといいます。「渇愛」は「無明(トリシュナ)」を原因とし、両者はわかちがたく絡み合っています。「渇愛と無明」が、この現世の人々に、煩悩をあまた生み続け、輪廻転生を繰り返させるというのです。この世の一切の現象が、そもそも苦(ドゥッカ=迷い)の原因・結果・連鎖以外のなにものでもないからです。

「渇愛」について釈迦は、悟ってから最初の説法の時(初転法輪)より、詳説しています。
 それには「五欲の渇愛」「生存欲の渇愛」「排他欲の渇愛」の三種があるといいます。すなわち、「目耳鼻舌触の五つの肉体欲の渇愛」「生きたいという生存欲の渇愛」「気に入らないものは排除したいという渇愛」ということになります。排他欲の中には、自分の思うとおりにならないものは見たくない、破壊したいという欲も含まれ、これを自分に向けると自殺になるといいます。
 しかも、渇愛は全体として、五感や生存欲や排他欲に関して、喜びと快楽を感じることが特徴だといいます。その特徴こそ、渇愛の証拠だと釈迦は説いたとのことです。そして、それらが執着となり、苦の原因となり、この悩み苦しみのやむことのない現世に、繰り返し輪廻転生させる因縁となると説きました。
 ならば、私がこの世で執着し楽しみとし愛着して手放すまいとしたものごと自体が、苦の原因ということになります。

 仏教では、苦を三種類(三苦)に分ける説があります。ひとつは、苦痛苦悩そのものである「苦苦(くく)」、一時的な喜びや快楽はあるが、それが永続せず終わってしまい戻ってこないことを憂い苦しむ「壊苦(えく)」、自分の心身・言動・環境のすべてが変わってゆき元には戻せないことを憂い苦しむ「行苦(ぎょうく)」の三つです。
 生きる苦痛を忘れ、幸福と満足を得るために是が非でも手に入れたいと願望したことこそが、現世で苦しみをつくりだし、なおかつ、来世もこの世に、今回と同様の悲惨な家庭環境に私の魂を生まれさせる原因となるということです。
 つまり、現世で自分に都合のいい、自分の思う通りになる出来事や生き方に、喜びと快楽を覚え、それの追求と実現に執着すればするほど渇愛が深くなるのです。思う通りにならないのが当たり前のこの世では、思うとおりにしたい、願った通りになれと念じれば念じるほど、あらゆることに苦しみが増え、来世もまた同様の思うとおりにならない苦しみを強く感じる人生を送らねばならなくなるというのです。

 自己中心を動機とする快楽、好み、愛好、嗜好、苦痛、嫌悪、排他心、怒りは、無常による変化を受け入れられない無知である「無明」から起こります。好み愛するものといえども、みな思う通りに続かず終わり、また変わってしまいます。嫌いな厭(いや)なものも絶えず現れるので、苦しみを生みます。好きなものは好きなもので、嫌いなものは嫌いなもので、どちらも100%思うとおりにはなりません。それによる不満や怒りや憎悪や恨みや苛立ち、悲しみ苦しみが、来世に生まれ変わらせる原動力となります。それがカルマです。
 つまり、私が激しく恋人を求め幸福な性交と結婚を念願したことについていえば、それが実現してもしなくても、どちらも来世に同じような苦しい人生が待っていることになります。
 今世、その願望を手放さないで、実現できなかったとすれば、それを恨み呪って自分の運命を憎んだまま死ぬことになるとします。その未練と恨みが、来世に同じ試練を与える人生に生まれ変わらせます。反対に、理想の恋愛や結婚ができたとしたら、今度はそれに溺れ、妻子に執着し、とらわれて支配しようとし、想うとおりにならない苦しみを味わい、こんなはずではなかったと恨み、愛する家族のゆえに嘆き悲しみ怒ることにもなります。そうした嘆きと怒りをもったまま死ねば、やはり来世は今世同様の苦しい試練を味わう人生に生まれ変わることになります。

 この順逆両方の快楽も苦痛も、念願への執着ごと捨て去って、強く念願することも恨むこともない、「中道」を歩まなければ、どちらにいっても苦しい試練の待つ来世に生まれ変わることになります。
 渇愛から離れるには、「中道」を正しく歩み身につけるしかないといいます。そうしなければ、またまた苦しい肉体人間の現世を歩まねばならない。

 前世・現世・来世の三世の視野でみるならば、愛して好んで喜びを覚えたものでさえ、執着となって苦をうみ、その苦がまた次の苦の輪廻の人生を生む構造があります。
 まことに「一切皆苦(この世のあらゆる現象は苦であり苦の原因)」です。「一切渇愛」と読み替えれば、まさにその通りで泣きたくなります。
 
「わが思う通りであれ」と願い念じる執着を手放さなければ、魂の平安は永久にやってはこないのでしょう。「わが意志ではなく、神・仏の御意志の通りであれ」と願い念じることが「中道」の一つの表現です。
 つまり、今の私の人生は、自身のもろもろの前世の渇愛の結果にほかなりません。私だけではない、いまどのようであっても、現世の万人がそうです。だれの人生も、今の自分はそれぞれの過去世の渇愛の集大成を生きています。
 そして私は思います。渇愛を止めたりへらしたりするのは「利他の心・ことば・おこない」であると。布施(心身言動をもって与え奉仕する)・利生(他を生かす)の心と行いこそ、渇愛を止め心の闇である無明を照らすと。

c0032696_00104876.jpg


# by ecdysis | 2019-01-21 00:18 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com(exciteメールは2018/9/18をもって使用不能となりました)